浜川神明宮の祭礼

983 ~ 983

大井村のうち浜川町は海苔(のり)栽培をする半農半漁の人たちの住む区域として、一区画をなしていて、別に鎮守の神明宮(現在の南大井一丁目天祖神社)が祀られていた。この神明宮は前記の来福寺持であったが、九月十六日の祭礼には来迎院の住職も、来福寺の僧と同道して神明宮にゆき、神前で法楽を行ない、法楽が済んだあと来福寺にゆき御馳走になってくるしきたりがあった。

以上のように神仏融合の思想にもとづいて、寺院が神社を管掌し、その祭事をつかさどるというケースが多かった。しかしなかには神社は村持ちであって、祭事のみ寺院が関与するケースもあった。また祭事には同宗の他の寺からも法楽に加わるというような、相互援助をするケースもあったのである。