品川拍子太太神楽(びょうしだいだいかぐら)は品川神社の神職家に古くから伝来している神楽である。毎年四月十七日に拝殿のなかでおこなわれていたが、現在は四月十五日におこなわれている。この神楽をおこなうとき拝殿のなかは特に飾りつけをしない。
この神楽を舞う舞人には古くから当社の神職らが奉仕するしきたりになっていて、当社の神職や近辺各社の神職が舞や奏楽をおこなっていたが、現在は専門の神楽師の間宮氏がおこなっている。神職が演じていたのは大正初期までである。
舞人は面をつけ、金欄(きんらん)の装束を着用して舞を舞い、楽人は烏帽子(えぼし)に直垂(ひたたれ)で笛・大太鼓・締太鼓を奏する。この太太神楽のとき演奏される奏楽が品川拍子である。
この太太神楽で演ぜられる内容は二〇座あったが、現在は一二座のみが伝えられている。品川神社に伝えられている文政年間に記載された「永代帳」には二〇座の内容、品川拍子の曲目、そして装束がつぎのように記されている。
御神楽之次第 装束附
一諸神勧請 らんし品川拍子打ならし
一岩戸嘘楽(かぐら) ゑんふ品川拍子入ゑんふ 萌黄狩衣 雲波半切
一天鈿女(あめのうずめ)神 ゑんふた一拍子入ゑんふ 白長緒 赤地半切
一神翁霊劔 ゑんふ三ッ拍子品川拍子入ゑんふ 白練舞衣 浅黄大口
一蒼稲々穂 ゑんふ品川拍子入ゑんふ 白地法被 萠黄半切
一保食発弓 右同断 黄舞衣 同色半切
一山海幸替 ゑんふ品川拍子ゑんふ品川拍子入ゑんふ 萠黄長緒 雲波半切 萠黄狩衣 波千鳥半切
一海童神 品川拍子かへしばかり 赤地法被 紺地半切
一大小神祇 ゑんふ 白地法被 赤地半切 黄法被 萠黄半切
一五竜神祇 ゑんふ 五色
中退
一青白幣帛 打ならし品川拍子打ならし 青白長緒 同色半切
一天扇風舞 ゑんふ品川拍子入ゑんふ 萠黄長緒 白地半切
一八劔勧請 右同断 側次萠黄半切 同 白地半切
一花鎮 右同断 黄舞衣 赤地半切
一八十玉串 ゑんふかまくら拍子入ゑんふ 萠黄狩衣 黄半切
一天三種 らんし品川拍子らんし 側次半切二人 長緒半切壱人
一出雲八雲 ゑんふかまくら拍子ゑんふ品川拍子入ゑんふ 白長緒 赤地半切 黄法被 白地半切 紺地法被 同色半切
一神孫廻向 ゑんふ三ッ拍子品川拍子入ゑんふ 萠黄法被 雲波半切
并毛卜鬼(もどき) 赤地法被 黄半切
一大山祇神(おおやまつみのかみ) らんし品川拍子打ならし 白地法被 萠黄半切
一湯花献上
退下
(上段は神楽の座名・中段は神楽の拍子で、使用する楽器の組合せなどによって「らんじ」「品川拍子」「かまくら拍子」「三ッ拍子」「えんぶ」などに分けられる。下段は舞人の使用する装束の種類を示している)。
この神楽の起こりは明らかでない。しかし慶長五年(一六〇〇)に徳川家康が国常立面(くにとこたちめん)と白色の翁(おきな)の面の二面を寄進しており(現存)、そしてそのうちの翁の面が、この太太神楽に使われており、また狐の古面が伝存しているので、江戸初期に演ぜられていたことは明らかである。
「永代帳」によれば、四月十七日、太太神楽が執行せられるにあたっては、東海寺にも案内状が行き、宿役人や旅籠屋、講中の人たちにも案内状が届けられ、広く一般に公開されたようである。
もとは四月十七日だけでなく正月・二月初午(はつうま)・四月初卯・十一月の火焚祭・新嘗祭などにも、全曲でなく一部を演じていたようである。