江戸時代は仏教が庶民の間に広く浸透していった時代である。それは寺請(てらうけ)制度につながる法制的な面と、民間行事への浸透という信仰的な面との、二つの要因があったことが考えられる。
仏教の教理にもとづいて各寺院が行なっていた涅槃会(ねはんえ)・春秋の彼岸会(ひがんえ)・盂蘭盆会(うらぼんえ)・施餓鬼会(せがきえ)などの行事が、民衆のなかに進出していって民間の行事としておこなわれるようになり、また各宗派の行事としての真宗の報恩講・浄土宗の御忌(ぎょき)・日蓮宗の会式(えしき)など、それぞれの宗派の開祖の忌日におこなわれる行事は、次第に檀信徒の集会や一般庶民の祭礼に変わっていった。そして各宗各寺でも、宗祖や開山の忌日に積極的に盛大な法会をおこなって、信者を集め、これを吸収しようとした。
江戸時代に品川宿内や各村でおこなわれた仏教的な民間行事をあげてみると、つぎのとおりとなる。
一月十六日 南品川長徳寺の閻魔(えんま)参り
一月二十五日 浄土宗寺院の法然上人忌
二月二十八日 南品川本光寺開山忌
三月二十七・二十八日 南品川海雲寺千躰荒神(せんたいこうじん)祭
六月二十四日 南品川品川寺地蔵参り
六月二十六日 南品川妙国寺開山忌(天目上人)
七月四日・十五日 北品川東海寺施餓鬼会(山門で旗を撒く、これを拾うと漁業にご利益があるといって漁民が争ってこれを拾う)
七月十六日 南品川長徳寺の閻魔参り
九月二十五日 北品川法禅寺円光大師忌
九月二十七・二十八日 南品川妙国寺仁王尊祭礼
十月一日―四日 北品川東海寺法会
十月六日―十五日 南品川願行寺十夜法要(お十夜)
十月十三日 南品川妙国寺祖師開帳
十月十五日―十八日 北品川正徳寺報恩講
十二月十一日 北品川東海寺開山(沢庵禅師)忌
以上のほか、品川宿では毎月おこなわれる行事として、毎月十三日の北品川養願寺の虚空蔵尊(こくうぞうそん)の縁日、十七日の北品川法禅寺の観音堂の縁日、二十八日の北品川不動の縁日があり、品川宿ではこのように月三回縁日があった。また品川宿の隣、利田(かがた)新地の弁天堂でも毎月二十八日に不動尊の護摩(ごま)が焚かれた。
江戸時代には、寺や堂が本尊を一定の日だけ公開して拝礼させる開帳も盛んに行なわれ、また虚空蔵菩薩(ぼさつ)・観世音菩薩などの庶民に親まれている諸仏や、宗祖・開山の縁日を祭礼日として人々を参詣させ、格段のご利益(りやく)があるということで参詣人を集めることも盛んにおこなわれた。
このように近世においては、仏教の思想が庶民の生活に浸透していくうちに、これが普遍化され、本来信仰的な行事として行なわれたものが、次第に本来の意義がうすれ、災を除き福を得るというような現実的な願いをこめた娯楽的な行事となり、のちには単なる娯楽と化してしまうものもでてきた。
仏教と庶民とのつながりを深めているものの一つに、寺院の境内に建てられている諸堂がある。これらの諸堂は仏教の教理やその寺の宗義に余り拘わらないで、庶民の信仰の要請に対応して自由な立場で建てられたものが多い。そしてこの堂にはその寺の檀徒だけでなく、そこに勧請(かんじょう)された諸天善神を信仰する人びとが、宗派に拘わらず任意に参詣し、それぞれの立場、それぞれの生活環境で必要とするご利益を乞うたのである。なかには北品川養願寺の虚空蔵堂・南品川海雲寺の荒神社(こうじんしゃ)(荒神堂ともいう)のように寺そのものより、境内に祀られた仏堂や神祠の方が有名になってしまった例もある。
寺院の境内に建立されている諸堂について、『新編武蔵風土記稿』から品川区内の寺院の境内にあるものを拾いだして集計してみると第71表のとおりとなる。これを見ると仏堂が二二、神祠が一四、神仏を合わせて祀る堂宇六、計四二に及んでいる。
堂名 | 法華宗系 | 臨済宗各派 | 曹洞宗 | 黄檗宗 | 真宗両派 | 浄土宗 | 時宗 | 天台宗 | 真言宗 | 計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
稲荷社 | 2 | 1 | 1 | 1 | 2 | 1 | 8 | |||
天神社 | 1 | 1 | ||||||||
冨士浅間社 | 1 | 1 | ||||||||
熊野社 | 1 | 1 | ||||||||
白山権現社 | 1 | 1 | ||||||||
荒神社 | 1 | 1 | ||||||||
東照堂 | 1 | 1 | ||||||||
観音堂 | 2 | 2 | 4 | |||||||
地蔵堂 | 2 | 1 | 3 | |||||||
薬師堂 | 1 | 1 | ||||||||
虚空蔵堂 | 1 | 1 | 2 | |||||||
不動堂 | 1 | 1 | ||||||||
閻魔堂 | 1 | 1 | 1 | 3 | ||||||
弁天堂 | 1 | 1 | ||||||||
妙見堂 | 1 | 1 | ||||||||
太子堂 | 1 | 1 | ||||||||
大黒・淡島合社 | 1 | 1 | ||||||||
淡島・稲荷合社 | 1 | 1 | ||||||||
天神・弁天・稲荷合社 | 1 | 1 | ||||||||
竜天善神・白山・稲荷合社 | 1 | 1 | ||||||||
弁天・天神合社 | 1 | 1 | ||||||||
金毘羅・大山権現合社 | 1 | 1 | ||||||||
計 | 3 | 5 | 6 | 1 | 1 | 6 | 3 | 9 | 3 | 37 |
(『新編武蔵風土記稿』により作成)
堂名 | 日蓮宗系 |
---|---|
鬼子母神堂 | 2 |
三十番神堂 | 2 |
摩耶堂 | 1 |
祖師堂 | 1 |
計 | 5 |
仏堂のうち、その数の最も多いのは観音堂で四つを数えており、地蔵堂・閻魔堂のおのおの三がこれに次いでいる。観音堂がいちばん多いということは、観音信仰が庶民の生活のなかに根強く浸透していることを物語っており、また地蔵の信仰と閻魔の信仰は、庶民が来世の安穏を期待する気持を如実に示している。虚空蔵堂や薬師堂・不動堂はこれらの堂宇に祀られている諸仏が、菩薩や明王のなかで庶民にきわめて縁の深いものであり、弁天堂・妙見堂・太子堂は民間信仰の対象となっている諸尊を祀っているものである。仏堂二二のうち五は日蓮宗の寺院独特の仏堂で、鬼子母神堂・三十番神堂・摩耶堂(まやどう)なども、民間信仰の対象となっている。
寺院の境内に神社が祀られているのは、神仏混淆(こんこう)であったこの時代の一般的な現象で、その数一四のうち八は稲荷社で、境内の鎮守として祀られているものであるが、稲荷社は単独でも区内に数多く祀られており、また神社の境内社となっているものも多い。稲荷信仰の根強さを物語っている。
神仏を二ないし三合祀している神祠が六つあるが、これも稲荷・白山・金毘羅(こんぴら)・天神・淡島(あわしま)・弁天など民間信仰の対象となっている神仏や、竜天善神などという雑神を祀っており、その寺の基盤となっている仏教上の教理や宗義とは全く縁遠い神仏や、そして庶民とのつながりの深い神仏が多いことがわかる。