近世に入って仏教的な信仰行事が庶民の生活のうちに深く浸透していったことは前述したが、これとは別に、仏教とは無関係に、古代からの多神教的な神祇思想に基づいたり、あるいは仏教を基盤としても、それには余り拘わらずに、庶民の信仰としてその生活に根強く入りこんでいったものに民間信仰がある。
民間信仰は特定の教祖はもたず、一定の教理や教義に立脚しないで、自由な考え方をもとにして、信仰の形を形成しているもので、主として自然現象や山川草木を神として尊崇するものである。
これらの民間信仰は、その掲げる利益(りやく)は極めて現実的で、現世利益を唱え、他力本願であることがその大きな特色であろう。そしてこのような民間信仰は、地域社会などを中心として講という形の信仰集団を形成し、庶民の連帯意識の強化、相互扶助体制の確立、社会教育の場として、村落に欠くことのできない社会的機能を成立させたのである。
講のなかには仏教的な背景が明確な講ももちろんある。日蓮宗寺院を中心として結成されている題目講、浄土宗の寺院を中心として結成されている蓮華講、真宗寺院の檀徒を結合した報恩講などがそれである。また仏教を基盤としているが、特定の宗派や教義に拘わらずに信仰行事をおこなうものに念仏講などがある。
品川区内にも各種の民間信仰の講があって、社会的・経済的機能、そして信仰的機能をもって村落に住む人びとと密接不離な形で存在していたが、この品川区にあった民間信仰の講を分類してみると、
1 日待(ひまち)講的なもの
2 山岳信仰的なもの・代参(だいさん)講的なもの
以上の二つに区分される。
日待講(ひまちこう)とは特定の日を定めて、その日に講員が集まり、共同祈願をし、共同飲食をおこなうものである。特定の日を待っておこなうことからこう呼ばれている。日待講には①庚申(かのえさる)とか甲子(きのえね)というように、干支(えと)つまり十干十二支を組み合わせた日に行なうもの、②十九夜講とか十五日講というように、毎月何日という日を特に定めて、その日に行なうもの、③毎年何月何日という日におこなうものなど三通りがある。①の区分に属するものには庚申講があり、②の区分には、民間信仰といっても仏教の色彩が多少あるが念仏講がある。③の区分に属するものとして狭義の日待講がある。狭義の日待講の日は特定の日でなく、「日の出」を待つことであって、一般に年一回ないし三回おこなわれている。
山岳信仰的な講というのは霊山と呼ばれている山、あるいは著名な山岳を神として尊崇する人たちのつくった講である。代参講は講金を積立てて、全国の名神大社・著名寺院等に、毎年一定人員を交代に代参させた講で、前者に冨士講・大山講・御嶽講(おんたけこう)などがあり、後者に伊勢講・成田講・秋葉(あきは)講などがある。もっとも前者の冨士講や大山講などにも代参の習俗があるので、すべて代参講として包括することもできる。
これから品川区内にあった主要な民間信仰の講について、その生い立ちや習俗を述べてみたい。