消防と防火

1103 ~ 1105

品川三宿の消防組織は、三宿にそれぞれ纒(まとい)があり、火消組はあったが、江戸府内の火消組のような組織があったわけでなく、三宿にて各三人ずつの鳶(とび)人足を雇っておくほかは、自身番(市中警戒のために四辻に設けた見張所)に組頭・家主などが交代でつめて火の元の取締りをした。もし火災が起きた場合は、宿内の拾五歳以上六十歳以下の人々が、全員かけつけて消防に従事するようになっていた。当時自身番で備えつけてある道具は

纒一本  階子(はしご) 一挺 竜吐水(りゅうどすい)(ポンプ) 一柄 玄蕃(げんば)桶(消火用の大桶) 二つ 鳶口一〇本  纏挑灯(まといちょうちん) 二張 鉄棒 二本  割作(わりだけ) 三本

で、この自身番・床番屋(とこばんや)は三宿と猟師町で約一五ヵ所あった。このほか火除の空地を設定したり、避難路を確保するために広小路を設置したり、いろいろと工夫をしていたが、なにせ数少ない消防器具と組織によって、自分たちの住んでいる町を火から守ったのであるが、火事は用捨なくおき、そして燃えひろがり、やがて一面を焼け野原にしにてしまう恐しい大火事となって、人々を困窮におとし入れてしまう。


第259図 竜吐水

 そこで代官所では、火の元の取締りを厳重にするように、何回となく触書を出して人々の注意をうながしていた。たとえば天保二年(一八三二)二月に令達した触書には、

①天水桶・地水桶は組合内で申し合わせ、時々見廻ってなまけることなく、常に水を張っておく。風が強いときは、家々は階子(はしご)を家根に掛けておき、近くで火事がでた場合は火の子の防ぎ方にもっぱら気をつけること。

②簑(みの)・菰(こも)などすべて火が移りやすい品物は、戸外に置いてはいけない。

③煮たきする場合、藁(わら)を使用するときは特別に気をつけ、藁灰の始末を入念にし、消えたあとでも、そのまま俵やざるなどに入れて、手の届かない物陰にしまって置くことはいけない。

④炭火を持ち運ぶときは、幼い子どもにやらせることはいけない。

など約二一ヵ条にもおよぶ、懇切丁寧な火の用心の注意書を出して、極力防火につとめたのである。

火除地  火災の延焼を避けるために特に設けた空地であるが、品川宿内でも古くから、非常の節に御用物の避難場所として、ところどころに空地を設けていた。ところが江戸時代の昔でも、道路に面しているいわゆる一等地を空地にしておくのはもったいないらしく、その空地に目をつけて借地を願い出て、水茶屋などを商売したいと申し出る人たちがあらわれて、土地の人たちとしばしば紛争をおこしている例が少なくない。