江戸町民の御用金

1152 ~ 1153

幕府勘定奉行より発せられたこの緊急触状によって、江戸冨商たちは早速御用金を上納してきた。内訳は

六月朔日には御用達向として、御勘定所御用達三谷三九郎以下二〇人 合金四万四千両

六月二日には、 一番組町之内芝口一丁目松坂屋八助以下六十四人 合金五万六千五百両

六月三日には、二番組・四番組・七番組中の内、西側通一丁目白木屋彦太郎以下四十八人、合金三万二千二百両

六月四日には、三番組・十一番組・十二番組・十三番組・十四番組・十七番組町の内、札差伊勢屋四郎左衛門以下五十九人 合金四万五千百両

六月五日には、五番組・六番組・八番組・九番組・十五番組・二十番組町の内、尾張丁二丁目恵比寿屋八郎右衛門以下三十三人 合金二万四千六百両

合計人数二二四人が二〇万二二〇〇両を上納したが、その後約一ヵ月経た後には、あとから献金した分として、七月八日に壱番組二百両以上のもの、堀留丁壱丁目漆屋源三郎以下七十二人で、合計金額壱万三一二〇両。七月九日に同じ壱番組町内の百両以下のもの本丁四丁目藪屋茂兵衛以下九拾三人が合計一五〇〇両を、さらに七月二十一日には、小伝馬丁二丁目越後屋七兵衛以下八十六人で、合計壱万四六五〇両。七月二十二日には、橘町壱丁目布屋与一郎以下九十三人 合金五、三二〇両。閏七月十三日には、浅草猿屋丁松屋佐吉以下六十三人 合計一万〇八五〇両。閏七月十四日には浅草材木丁勝田屋茂左衛門以下八十人 合金四、二〇〇両。八月六・七・八日には五郎兵衛丁伊勢屋作兵衛以下二百四十八人で、一万九三五〇両。八月二二日から二四日までに、青山久保丁伊勢屋与兵衛以下百五十一人 合計九、八四五両。また九月十一日から十三日までに、深川中川丁川村屋伝右衛門以下八十七人より金一万一六八五両が上納された。

 右のように江戸の富有町民延人数一、二九七人から徴集した金額合計は二九万二九三〇両という多額に達した。