三カ国ミニストル居館取建

1162 ~ 1163

あいつぐ外国人殺傷事件に対して各国公使団は、前から申し入れていた安全に住居できる敷地を要求してきた。これに対して幕府は、第一案に中川の河口、第二案は江戸の大通りの海岸沿いの地、第三案に御浜御殿の一部という三案を提示したが、外国公使団側は、この三ヵ所には難色を示し、結局北品川の御殿山の地に、白羽の矢を立ててきた。