品川区史 通史編 下巻

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品川沖の黒ふね    鈴木栄氏所蔵
品川沖に碇泊した黒船をはじめてみた人々の驚きは、はかりしれない。


東京高繩(輪)品川口蒸気車往来之図 蒸気車や手前の馬車、通行の人たちを現今の品川区内を走る自動車や新幹線と比べるとおもしろい。


品川沖の蒸気船   平野義治氏所蔵


上、品川神社の大神輿(昭和49年6月) 下、荏原神社の海中渡御(昭和49年6月)
五十年ぶりに町内を渡御する品川神社の大神輿と大井埠頭にわずかに残っている砂浜で今も若者たちが伝統の海中渡御を伝えている。


五反田駅付近のようす


東品川文化センター屋上より首都高速一号線(上)と大井町駅方面(下)を望む。


大正時代の小学校のようす
城南小学校の遊戯の時間
品川小学校の体錬の時間
現在「子供の森公園」になっている東海尋常高等小学校


品川駅頭より前線に送られる軍隊と見送人


前線に征く部隊を送る品川駅の旗の波


昭和17年4月18日帝都初空襲 集団就職で上京したばかりの若い工員20余名が罹災した東亜製作所(東品川)


最後の大空襲
昭和20年5月24日~25日、B29による最後の大空襲、焼け残ったものは執拗に攻撃破壊されていった
上 農林省荏原倉庫に焼米を貰いに集まる人々
中 品川区大井滝王子町(現、大井五丁目)の230kg不発爆弾の処理状況、白装束で作業にあたった。
下 昭和20年5月24日の品川区西大崎1丁目付近(現、西五反田八丁目)
以上、戦災関係の写真は、「東京空襲を記録する会」の石川光陽氏提供


品川の現状
南品川の密集する住宅
品川にわずかにのこる船だまり(北品川一丁目)


高速道路の立体交叉(西五反田七丁目)


目まぐるしい自動車の行列(平塚三丁目、中原街道平塚橋付近)


車に圧迫される戸越銀座商店街


路傍の文化財(中延五丁目)、江戸時代に造立されたこの道しるべは、畑地が商店街に変わった今日も歴史をきざみながら立っている。


上 大井埠頭に建設された近代的ゴミ焼却場
下 首都高速道路の入口(鈴ケ森)