村民の驚歎と困惑

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品川宿を中心にかたまっていた区内村々も、維新後の変転打撃の上に、「文明開化」という大きな波がうちよせるにつれて、村民の生活の上にも、「ただもう驚くばかり」といった動揺とおそれで、もみくたにされるような変化があった。戸籍の改変、飛脚にかわる郵便制度の施行、鉄道の開通、娼妓解放と貸座敷制度の発足、周辺村々の人々を困惑させた地租改正、徴兵制度の施行、あるいはまた小学教育の発足、村議会の成立、どれ一つをとっても、村の人々にとっては目新しく、新政府の方針にただひたすらついてゆくより外に方法がない有様であった。とくに品川宿の痛手は大きかった。南品川宿の薩摩屋敷焼打ちに関連して浪士に焼払われた痛手が次第に回復しつつある時に、こうした大変転があとからあとからと襲ったので、文字通りどうしてよいかわからぬほどだった。