工業のあけぼの

6 ~ 6

しかし、打撃の大きかった品川宿に新しい蘇生の波が、別の面からうちよせた。それは工業―近代工業化の第一波が及んだことであった。

 まず、明治五年ごろ、当時流行の先端をゆく煉瓦製造が御殿山下で開始された。蒸気を利用した新しい器械での製造であった。それがきっかけで、三条実美が東海寺境内に、明治六年ガラス製造の工場を設け、九年これが官営となり、さらに十七年民間に払下げられるという変遷があり、やがて品川硝子会社となる。また九年に政府の深川セメント工場内につくられた白煉瓦の仮工場は、やがて民間に払下げられ、御殿山に品川白煉瓦製造所が設けられるといった状況で、そうしたことが、やがて明治後期に入っての、区内ではないが品川電燈会社の設立や、品川台場跡の西洋型造船所、あるいはビール醸造会社・染物会社などの続出となってゆく端初であった。品川の工業発展はこうしたところからはじまったといえる。