村方の変化と農民

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品川宿の町としての変転動揺に対して、それをとりまく周囲の村々はどうであったか。明治初年の各村々はひたすら旧によって農業をつづけ、品川の変動をよそに農産に励むよりほかに方法はなかったであろう。

 しかし、ここにも明治五年十二月三日をもって明治六年一月一日とするといった新暦と旧暦のきりかえによって、すべて旧暦によっていた人々に大きな動揺をきたしたことは否定できない。その上、戸籍の問題、徴兵の問題、小学校設立の問題、どれをとっても当局より指示された通りに動くよりほかに方法がなかった。その精神的動揺は、品川宿の人々におとらぬほどであったといえる。