天皇東幸

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改元についで、元年九月二十日天皇東幸の旨が伝えられると、京都市民の不安は大きかったが、それをおしきって、九月二十日京都出発、十月十二日には品川に到着された。一泊されるというので、品川宿はもちろん区内村々は文字通り上を下への大騒ぎであったという。名主や宿場のおもな人々の心労はなみなみならぬものがあった。その上、薩摩屋敷焼打ちの余波で、南品川宿と門前町がほとんど焼失した痛手がまだ回復してないため、天皇の宿泊所をどこにするかも大問題だった。やむなく南品川の貴船神社境内に鳳輦置場をつくり、近くの北品川旧本陣に仮行在所を設けて明治天皇の宿泊所とすることにした(現在の聖蹟公園がそれである。)。


第1図 明治天皇東幸品川宿通過の図