町村の財政

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ところで当時の町村財政はどうなっていたのであろうか。三新法の一つ地方税規則第三条は「各町村及区限ノ入費ハ其区内町村内人民ノ協議ニ任セ」と規定していた。つまり、政府は町村財政に関して町村内協議の自治的性格を認めていた。これを一般に「区町村協議費」と呼んでいた。協議費は町村の協議にゆだねられていたので、その費目は各地域の実情に応じて多様であるが、その主なものは戸長役場諸費・掲示場及布達費・地租改正費・徴兵費・戸籍費・教育費・治水費・道路・堤防・橋梁費・用悪水費・衛生費・勧業費・救助費・区町村会及連合会費・凶荒儲蓄及郷蔵諸費等であった。

 これらのなかには戸長が府県知事、郡長より担当せしめられた国政事務が含まれていた。たとえば地方税徴収・伝染病予防・貧民救済・備荒儲蓄・府県会議員選等の事務である。その他教育関係費なども政府によって一定の事務ならびに施設を義務づけられており、町村財政における国政委任事務費も相当の比重はもっており、これらは年々増加の傾向にあった。

 品川区域におけるこの時期の財政の実際はどうであったろうか。現在、この時期の協議費に関する史料としては『大井町史』所収の明治十二年七月から十二月の予算と、『大崎町誌』所収の明治十二年一月から六月までの予算があるので、これによって若干その内容をみてみよう。

 〔表5~8〕

第5表 大井村明治12年7~12月協議費 支出
費目 金額 割合
円 銭 厘
地租改正取調費 22.32.0 3.5
道路橋梁修繕費 20.00.0 3.1
用水費 42.23.8 6.5
道路掃除費 2.80.0 0.7
コレラ病予防費 1.50.0
村会々議費 20.72.0 3.2
選挙諸費並聯合会郡中割合 7.70.5 1.1
学校費 202.80.0 31.4
半ケ年分戸数割納 142.35.4 22.0
地租五分一府庁収納分 145.17.0 22.5
645.60.7 100.0

 

第6表 大井村明治12年7~12月協議費 収入
費目 金額 割合
円 銭 厘
地方協議費地価割 114.04.5 17.6
用水費 40.23.8 6.3
戸数割 142.35.4 36.0
郡中協議戸数割 89.88.0 13.9
地方税五分一収入分 203.24.0 31.6
学校資本利子ヨリ別入 54.85.0 8.6
644.60.7 100.0

 

③+④ 戸数割配分
等級 戸数 一戸当り 等級 戸数 一戸当り
円 銭 厘 銭 厘
優等 5 5.00.0 3等 50 24.4
1等 3 1.00 4等 324 24.4
2等 71 5等 180 20.5
9 75.0 6等 85 15.0
20 50.0 7等 240 免除
42 35.0

 

第7表 大崎村明治12年1~6月協議費 支出
費目 金額 割合
円 銭 厘
道路橋梁修繕費 10.00.0 4.2
道路修繕・固場養水事件費 7.00.0
コレラ病予防費 31.47.3 7.6
地租改正費 12.00.0 2.8
村会諸費 7.22.0 1.7
聯合会地価割受高 48.87.6 22.6
同  戸数割受高 40.98.2
地方税
戸数割 64.63.8 54.1
地価割 151.65.8
山林雑地税 3.11.3
租税並地方税手数料 1.28.2
聯合会諸地価割 4.03.8 1.0
品川用水費 15.89.1 5.1
三田用水費 5.31.9
布達掲示場新築費 3.50.0 0.9
掲示場保護人手当
406.99.0 100.0

 

第8表 大崎村明治12年1~6月協議費 収入
費目 金額 割合
円 銭 厘
地価割 274.67.0 67.5
戸数割 104.49.7 25.6
山林地価割 3.11.3 0.8
田反別割 21.21.0 5.2
予備金より支出 3.50.0 0.9
407.04.3 100.0

 

③の戸数割等級
等級 戸数 金額
円 銭
優等 1 7.00
1等 3 1.25
2等 7 1.00
3等 6 81
4等 20 65
5等 26 50
6等 34 39
7等 43 29
8等 45 21
9等 50 15
10等 40 11
11等 70 8
12等 50 6
13等 24 免除す

 

 表からわかるように、両村の予算とも半期分のため、費目中に戸長役場費(戸長・書記などの給料・事務費・役場修繕費など)が含まれていない。当時の協議費中に占める戸長役場費が大きかっただけに、全体の予算規模をみる上では不完全といわざるをえない。

 大井村の支出で目をひくのは ⑨学校費 ⑩半ヵ年分戸数割納 ⑪地租五分一府庁収納分である。学校費は全体の三一・四%を占めている。これについて議案説明は「鮫浜大井之両校費用、是まで不足入費は他借立替有之諸学校とも方法難立」状態にあったことを述べ、その解決方法として荏原郡連合会協議の結果、府へ納入の地方税地租七分の一を、実際の徴収にあたっては地租五分一を徴収し、その差額を各村学校費として補助し、さらに全郡一律に戸数割を徴収して学校費にあてたのであった。従って大井村支出の⑩⑪にはこの学校費のための戸数割・地価割が相当部分を占めているのである。同様のことは大崎村支出中の⑥連合会地価割受高・戸数割受高についてもいえる。教育費を捻出するための苦労が思われる。

 つぎに注目されるのは、地方税である。大井村の場合⑩⑪の四四・五%、大崎村の場合⑦の五四・二%がこれにあたる。協議費中に地方税が混入しているのはおかしいが、実際には戸長にその徴収が委任されているため便宜の方法としてこれが行なわれたものであることが推測される。それにしても地方税が全予算の半分以上を占めていることは注目すべきことであろう。国税としての地租を納め、更に地方税と協議費を徴収されたことは当時の町村民にとって相当な負担であった。

 これらの税は、一般に地価割・戸数割によって徴収されている。地価割はいうまでもなく、所有土地の地価の割合に応じたものであり、戸数割は戸口に応じて徴収されたもので、各村とも大井は八等級(実質十一等級)、大崎の場合一四等級にわけて賦課されたのであった。

 協議費は年々増加する傾向にあったが、これは史料を欠くため、明治二十二年の市制・町村制実施後の財政について後に分析することにする。