府下の老農

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もちろん、かかる全国的に有名な老農とともに、各郡村の農業技術や農業経営の指導にあたっていた無数の盛名な老農がいたわけであって、多く在来農法を下から支え、のちに「明治農法」の中心的な担い手を形成してゆくこととなる。

 明治十五年五月、三田育種場が中心となり農商務省農務局で作成された「全国老農名簿」から、東京府関係の老農の姿を示せばつぎの通りである。旧東京市域内の老農の存在と、郡部における北豊島・南葛飾両郡に老農が多数存在したことがうかがえる。荒川(隅田川)・江戸川流域の土地生産力の高さを予想させるのであるが、荏原郡内では、大井村・戸越村関係者で五名に達している。なお、この時点では、西多摩・北多摩・南多摩三郡は神奈川県に所属していた点も付加えておきたい(『東京百年史』第二巻)。そして、戦後における自由民権運動史の研究の進展が示すように、自由民権運動の中心となったいわゆる「豪農層」とこれら「老農」の経済的基盤の類似性も予想されよう。それゆえ、明治政府としては、かかる「老農」たちを、あらかじめ組織化し、農事改良運動の目的に利用しようとした。このような動きのなかで、つぎつぎ農談会が開催されてゆくのである。この農談会は、各地の「老農」をまとめた郡単位の農談会を基礎に、府県農談会と全国農談会が開かれるように、相互に関連し合っていた(『東京百年史』第二巻)。

   第12表 東京府の老農(明治15年)
地域名 人数 老農氏名
芝区 1
下谷区 3
浅草区 2
本所区 1 萩原久五郎(大井村),桜井源兵衛(大井村)石原久左ヱ門(大井村),増山仁左ヱ門(大井村)原田新左ヱ門(蓮沼村),斎藤兵三朗(戸越村)瓜生源五郎(古市場村),鈴木久太夫(上北沢村)
 〔品川区域関係〕
深川区 1
荏原郡 8
東多摩郡 1
南豊島郡 10
北豊島郡 32
南足立郡 8
南葛飾郡 28
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〔『東京府史』行政編 『東京百年史』第2巻より再引〕