陸運会社の設立と宿駅制度の廃止

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明治三年五月十二日、民部・大蔵両省の合議によって決定をみた「宿駅人馬相対継立会社取建之趣意説諭振」は、かかる方向への第一歩と考えられよう。これは、いってみれば、沿道各駅に、公的な伝馬所とは別に、民間貨客の輸送に専念する私的継立機関を設立し、街道の困難を打開しようとしたものであった。会社とは何かの説明にはじまって、その必要性や運営の仕方、継立賃銭の定め方、運営費まで各種の問題にふれている一種の手引書であった。宿駅および近傍町村での排他的・独占的な輸送権を付与された、旧宿役人中心の同職組織ともいわれている。これは、五月以降駅逓司官員の東海道巡駅の折に現地に伝えられ、さらに翌四年五月には「陸運会社規則条」が作成され、同年末から、翌五年初頭にかけて東海道各駅に、いわばその地域の輸送特権を付与された陸運会社があいついで設立されてゆく(前掲『維新期の街道と輸送』)。品川駅における陸運会社の設立は明治四年十月で(黒羽兵次郎「陸送会社の設立及び解散」本庄栄治郎『明治維新経済史研究』所収)、南品川宿伝馬所跡に設置されたが(資三六五号)、その賃銭表を示せば、第19表の通りである(『品川町史』下巻四四四~五ページ))。

第19表 賃銭表(明治4年5月)
行先 上り 川崎駅迄(2里半) 下り 日本橋迄
単位 賃銭 1里当り 賃銭 1里当り
項目
貫 文 貫 文 貫 文 貫 文
人足 1人 956 380 864 432
1疋 2 392 956 2 164 1 080
宿駕籠 1挺 2.348 938 2.100 1.048
垂〃 2.824 1 128 2.600 1.300
引戸〃 3.800 1.520 3.400 1.700
長棒〃 4.700 1.880 4.248 2.124
人力車 1挺 2.390 956 1.916 956
車力 (20貫目) 2.000 800 1.600 800

 

 以上の結果、東海道の東京・大阪間の継立業務は、各地新設の各駅陸運会社にすべて委託され、従来各駅伝馬所に常駐した府県駅逓掛官員は引揚げられ、貫目改所・伝馬所などの官有施設も漸次処分を決定してゆくこととなる。かかる方針は、次第に全国にひろげられてゆくが、同五年七月二十日付で、全国諸道の伝馬所および助郷を八月末をもって廃止する旨の太政官布告が発布されてゆくのである。なお、六郷川渡船に代わる板橋架橋は明治三年四月ごろ、実現をみている(『品川町史』下巻、二二八ページ)。