ガスは熱として台所で使用されるより、品川宿などの町場では燈火として「明り」に使用されていたが、品川周辺村々までは、まだ行きとどかず、ランプを使用していた。
電気は明治二十二年になって、品川を中心とした有志によって、高輪南町に品川電燈会社が設立されたのが、区内関係の最初のようである。ついた時の品川の人々をはじめ、周辺村々の人々のおどろきは大変なものだったという。
この電気会社は芝など旧市内七区と、荏原・豊多摩の二郡に次第に及んでいったのであるが、区内でも大井などでは、大森寄りの方は大正になっても、つい近くまで電気がきていながら、なかなかつかなかったという。
大正時代になってもガスと電燈と二つの「明り」をそなえた家々が、旧品川などの商店街には少なくなかったといわれている。