開国とキリスト教

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安政の開国によって、徳川幕府は鎖国政策を放棄したが、キリスト教禁止の政策をかえることはなかった。もっとも、諸外国との間に締結された通商条約では、居留民に信教の自由を認め、締結国相互に社寺教会を害しないことが規定されていた。したがって、幕府は、外国居留民のキリスト教行事を拘束することができず、そのために、従来国禁とされていたキリスト教教師の入国をも認めねばならなくなった。

 このような情勢の変化に応じて、欧米のカトリック教会もプロテスタント諸派も、日本布教をめざして宣教師を派遣した。かれらは、宣教師という資格だけでは、日本国内での自由な活動ができなかったので、公使館付の祭司・牧師・通訳などの肩書をえて、より広範な活動を展開した。一八五九年(安政六)十一月、神奈川に上陸したアメリカ-オランダ改革派教会のS=R=ブラウンも、アメリカ公使館付牧師の資格で、神奈川と江戸の間を往復し、一八六〇年(万延元)三月十一日には、アメリカ公使館で「江戸における最初のプロテスタントの礼拝と説教」をおこなっている。(高谷道男編訳『S=R=ブラウン書簡集』三四ページ)このようなキリスト教宣教師が、幕末開国後の品川宿を往来するのはめずらしいことではなくなっていった。