寺子屋時代

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江戸時代、わが国の庶民の教育はどこでも寺子屋で行なわれたが、この品川地区にもいくつかの寺子屋が設けられ、そこで子弟の教育が行なわれていた。

 寺子屋での勉強は読み・書き・そろばんを主とし、それに礼儀作法などが教えられた。

 寺子の年齢は七、八歳から十四、五歳が普通で四年から五年間就学するのが一般的であった。

 教師はたいてい一人で、浪人・僧侶・神官などの学識者がこれにあたり、教場は寺院の一部や、教師の自宅がこれにあてられた。

 この品川地区に、幕末維新のころ、寺子屋が何ヵ所あったかその正確な数については詳かにできないが、明治六年、東京府でまとめた「開学明細調」によると、品川宿に八家塾、下大崎村に一家塾、計九家塾が記載されているが、その他にも品川宿に三、小山村に一、中延村一、戸越村二、桐ヶ谷村一の寺子屋があったことが分っている。

 さすがに当時の町場である品川宿にその多くが集まっており、農村部に較べて教育も熱心であったことを物語っているといえよう(資七五四ページ)。

 当時の寺子屋は毎日七時半ころから授業を始め、午後二時から四時ころまでに終わるのが普通で、また夜間に一時間ほど夜稽古をするところもあったようである。これらの家塾のなかには、その後、学制公布後も私立小学校として存続した品川宿の荻野学校・神戸学校があるが、その他の塾は公立小学校の設立とともにそれに移行したり、消滅してしまったりしている。

 家塾の規模は多い塾で百十数人、普通四、五十人、少ない塾で二十数人であり、男女の数は塾によって多少があったが、全体としてはほぼ同数の比率であった。