城南小学校

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明治七年、南品川の有志が計って早急に小学校設立の議を諮り、その年の十一月、南品川宿常行寺本堂および大師堂を借りうけて設立したのが、第二中学区第八番小学城南学校である。そして、十二月には校長成富誠一氏のもとに、六十数名の生徒が入学して開校した。

 しかし、当時学校維持費に苦しみ、明治九年の収支は不足金一三七円余にも達し、明治十年には品川小学校との合併説が生じたりしたが、学校世話掛は学校存続に努力し、南品川宿六ヵ町共有地財産から援助を求め、毎月金一〇円の補助と、別に宿備相続講貸付利金から一ヵ月五円あて、五年間継続の補助をうけることになって、廃校をまぬかれている。

 その後、生徒数も増加し、教室が手狭まとなったため、南品川中央の妙国寺塔頭の廃寺となっていた修成院の土地七二八坪余りを買収し、明治十三年十一月六日に落成式を行ない、そこに移転した。当時における生徒数は二四六名、職員数は校長以下六名となり、名実ともに小学校の体裁がここに整うにいたった。


第26図 城南小学校における授業の様子(大正期)