大井小学校

159 ~ 160

明治七年ころ大井村の先覚者平林九兵衛氏は、近代教育の必要を説き、その努力によって明治八年大井村全域を一学区とする第二中学区第十九番公立小学大井学校として鹿島谷来迎院の一部に開校し、生徒百余名を集め職員三名をもって五月十五日から授業を開始した。その後、来迎院では設備不足のため十二年に大野邸に、次いで十七年に現在地に移って、今日の大井第一小学校の母体となるにいたったものである。

 しかし、全村を校区としたのはわずかな期間であって、明治八年七月には同じ大井村内に鮫洲・浜川の二小学が設立され、またそれが明治九年合併して鮫浜小学校となったため、生徒のうちに鮫浜校に転校する者もあって、この学校の生徒数は減少し、明治十二年には生徒数五四名、教員二名となり、その後明治二十年代までは生徒数一〇〇名以下の小規模な学校として存続した。