日野小学校

160 ~ 161

明治十一年戸長海老沢重治の尽力によって上・下大崎・谷山・居木橋四ヵ村が連合して、府庁の認可を得て設立されたのが第二中学区第十番公立小学日野学校であり、上大崎村徳蔵寺の堂宇を借りて開校した。当時の生徒数は三〇名程度で、教員は一名であった。

 次いで明治十四年には、桐ヶ谷村の生徒(桐ケ谷村は戸越村と合同して京陽小学校を運営していた)を併合し、ここに一戸長役場管内一学区が形成された。その後生徒数の増大に伴い新校舎を設ける必要にせまられ、明治十八年、谷山村百十二番地に移転し、次いで明治二十八年には桐ケ谷三百九十六番地に四〇〇坪の土地を購入して再移転した。これがほぼ現在の日野第一小学校の位置である。

 なお日野の校名の由来は数ヵ村の共立であったため、校名決定が紛糾し、古くからのこの地域一帯の地名日野郷の日野をとって命名したものである。ちなみに日野郷の起源は鎌倉初期の豪族日野氏の勢力下にあったために呼ばれた呼称である。

第25表 日野小学校の生徒数の増加

(明治11年~同34年)

年度 生徒数 年度 生徒数
明治11年 30 明治23年 159
12  52 24  162
13  73 25  168
14  77 26  155
15  104 27  146
16  111 28  164
17  112 29  194
18  127 30  237
19  157 31  223
20  140 32  235
21  180 33  245
22  173 34  247

(『大崎郷土教育資料』より作成)