明治七年、中延村・小山村二ヵ村組合で第二中学区第十三番公立小学校を現在の荏原警察署の前に創設したが、生徒数も少なく、学校としての成立もあやぶまれたので、十一年には京陽学校に併合する。しかし、十四年ふたたび京陽学校から分離して、中延村百五十二番地(現在の東急バス中延車庫の地)に延山学校の名で復帰する。明治二十七年四月に火災で全焼するが十月には再建が成る。その後大正十四年に現在地に移るまで、校舎はその地にあるが、新校舎ができて後も、旧校舎は分教場として利用され、昭和六年に廃止となるまで存続した。
延山小学校
明治七年、中延村・小山村二ヵ村組合で第二中学区第十三番公立小学校を現在の荏原警察署の前に創設したが、生徒数も少なく、学校としての成立もあやぶまれたので、十一年には京陽学校に併合する。しかし、十四年ふたたび京陽学校から分離して、中延村百五十二番地(現在の東急バス中延車庫の地)に延山学校の名で復帰する。明治二十七年四月に火災で全焼するが十月には再建が成る。その後大正十四年に現在地に移るまで、校舎はその地にあるが、新校舎ができて後も、旧校舎は分教場として利用され、昭和六年に廃止となるまで存続した。