(二) 私立小学校

164 ~ 166

 明治五年の学制の頒布によって、各地に公立小学校の設立が計画され、それが十年代になると、品川地区全域にわたって稔って来たのであるが、政府はかつての家塾もこれを私立の小学校として認める方針はとっていた。しかし、教員としての資格や、その内容については、公立小学校と同様のきびしい指導が加えられたため、家塾から私立小学校に転じたものも、数年後には門弟の多くを公立学校に吸収され、経営も困難であったため廃校せざるを得ないものが多数生じた。そしてその師匠は、公立小学校の教員として転じて行くものが少なくなかった。明治一〇年のこの地区にあった私立小学校の名をあげると次の通りである(資・七六〇ページ「私学校明細」参照)。

 荻野学校  北品川宿北馬場町一丁目

   教員 二名  生徒 一四三人

          授業料 金四銭より十二銭五厘まで

 斎藤学校  北品川宿北馬場町二丁目

   教員 一名  生徒 六六人

         授業料 金四銭より十銭まで

 佐藤学校  北品川宿北馬場町三丁目

   教員 一名  生徒 四四名

          授業料 四銭

 神戸学校  南品川宿七丁目

   教員 二名  生徒 五五名

          授業料 金五銭

 黒川学校  南品川宿七丁目

   教員 一名  生徒 五八名

          授業料 金四銭

 腰塚学校  南品川宿四丁目

   教員 一名  助教 一名  生徒 九五名

          授業料 金四銭

 大島学校  南品川宿猟師町

   教員 一名  生徒 二九名

          授業料 金四銭

 大内学校  南品川宿五丁目

   教員 一名  生徒 二八名

          授業料 金四銭

 明倫学校  戸越村

   教員 一名  生徒 四九人

          授業料 金六銭二厘五毛

 貫名学校  下大崎村

   教員 一名  生徒 二三人

          授業料 金十二銭五厘

 西村文三 戸越村

   教員 一名  生徒 八八名

          授業料 金五銭

 乾々塾分校  上大崎村

   教員 二名  生徒 四五名

          授業料 金六銭二厘五毛

 以上一二校であるが、その規模、生徒数、教育内容等において寺子屋とほとんど変わらず、従って地元住民の協力と資金的援助のもとに設立された公立小学校とのたちうちはほとんどできず、以下にのべる二、三の学校を除いて明治十年代にはほとんど消滅してしまうのである。


第29図 明治初期の小学校の分布図