神戸小学校

168 ~ 168

明治三年神戸金八氏が海晏寺の門前に寺子屋を開いたのがその起源で、当時は寿泉堂と称していた。明治八年文部省の布達で神戸小学校と改称し、十三年には七八人の生徒(男子三九人・女子三九人)を有していた。その年、校主が隠居したためいったん廃校となったが十七年子息の金八氏(同名)によって再興され、生徒四八人で再発足する。

 二十年尋常科の生徒は五五人を有し、二十二年には新校舎を設けて授業を開始し、その時期には生徒一一六人(男四八人・女六八人)であった。その後、荻野小学校とともに町立学校の代用小学校として存続するが、四十四年七月の暴風雨で校舎が潰滅状態となり、復旧することができず、ついに廃校するにいたった。