当時の課程と教科

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明治五年の学制では小学校を下等小学と上等小学に分け、前者は六歳から九歳まで、後者を十歳から十三歳までとし、計八ヵ年を小学校課程として定め、また、毎日五時間、日曜を休日とし、週三〇時間の授業が行なわれることになっていた。

 その後、明治十二年に学制が廃止されて教育令が実施され、また明治十九年には小学校令が出されて教育制度は変化する。小学校令では下等小学が尋常小学校に、上等小学が高等小学校に変わり、尋常小学校の課程は就学の義務があるものとなったが、ただし土地の情況によって三ヵ年以内の小学簡易科を設けて尋常小学校に代用することが認められ、この地区の学校も、東京府下郡部全域の学校にならって三ヵ年で修了ということになった。しかし後に明治二十三年四年制に統一される。そして、これ以降の明治期はこの「小学校令」を基礎に教育課程が組まれて来た。

 また学科は「学制」の時代は綴字(かなつかい)一週六字(時)、習字(しゅうじ)一週六字、読方一週六字、洋法算術一週一字、修身一週二字、暗誦一週四字と定められ、また「小学校令」では尋常科では修身・読書・作文・習字・算術・体操が課せられ、その他図画・唱歌・裁縫の一科以上を加えることが可とされ、高等小学校では尋常科の科目の他に地理・歴史・理科・図画・唱歌が必修の科目にとりあげられており、また土地の情況により英語・農業・手工・商業のうちから一科または二科を加えてもよいことになっていた。この地区の小学校もこの文部省の規則に応じて、それぞれ地域の特性を考慮しながら教育が行なわれたわけである。