町村の発展と財政膨脹

191 ~ 197

市制町村制によりあらたに行政村としての器をととのえた品川区域の各町村は、大東京市の近郊として急速に発展していった。その人口は明治二十一年から明治四十五(大正元)年までの二〇年間に、品川では一・三七倍に、大崎は四・七二倍に、大井は四・三五倍に、そして平塚は一・五六倍にふえている。(第27表参照)

第27表 品川区域の明治後期人口動態
町村 品川町 大崎村 大井村 平塚村
年度 戸数 人口 戸数 人口 戸数 人口 戸数 人口
明治11年 3,208 12,426 403 1,730 968 4,357 462 2,612
21 3,601 16,530 567 2,703 951 4,776 480 2,774
26 3,549 16,028 1,700 5,250
29 3,546 17,326 610 1,147 482
30 3,578 17,687 610 4,247 1,180 6,303 482 3,275
31 3,593 18,299 621 2,812 1,137 6,059 492 3,297
32 2,701 15,549 647 3,918 1,287 6,137 495 3,338
33 3,613 15,447 662 3,919 1,368 6,065 498 3,386
34 3,619 14,121 685 3,871 1,466 6,442 481 3,490
35 3,622 15,522 727 4,050 1,556 8,644 615 3,491
36 3,625 15,306 763 4,270 1,556 7,977 632 3,494
37 3,648 15,383 989 4,344 1,596 8,304 641 3,564
38 3,715 15,619 1,041 5,152 1,683 9,382 602 3,653
39 3,976 16,207 1,174 5,752 2,581 9,778 503 2,949
40 4,106 16,774 1,540 7,298 3,730 20,450 570 3,056
41 4,488 18,056 1,735 8,524 3,960 16,010 618 3,752
42 4,583 18,585 1,758 9,204 4,116 20,232 668 3,315
43 5,064 21,221 2,051 8,483 4,293 17,038 580 3,587
44 5,085 21,742 2,226 10,844 4,353 18,696 760 4,027
大正元年 5,127 22,597 2,913 12,759 4,372 20,801 823 4,327

 

 この時期の人口動態の特徴は、品川町のように早くから市街化した地域、それに平塚村のように農村地域は比較的緩やかに人口増加をみせているのにたいし、大井・大崎のふえ方には驚くべきものがある。

 大井・大崎は、明治三十七・八年の日露戦争後、とくに四十年から急速に増加しているのが注目される。これらは日露戦争後の資本主義の発展にともなう必然的な結果であった。大崎の場合目黒川沿岸の工場新設がこの時期からめだってくる。大崎所在の工場創業年代は、明治三十八年までは八工場にすぎず、それも明電舎を除くと大部分は五〇人以内の小規模工場であった。ところが日露戦争後の明治三十九―四十三年の五年間に九工場、明治四十四―大正四年の五年間に一九工場が創設された。これらの新設工場には四〇〇人以上の工場一つを含み、比較的規模の大きなものが多い。同じように大井の場合も、立会川の豊富な水と地盤の固い台地という自然環境に加え、大正三年には大井町駅も開業し、急速に軽工業・紡績・重工業・精密機械工業の工場が新設される。これにともない住宅・商店街も形成されることになった。この傾向は大正期の第一次大戦後は平塚村も含めてさらに大きく変化していくわけであるが、このことについてはまた別の項で述べる。

 このような人口増にともない、明治四十一年八月一日から大井・大崎両村はともに町制を施行し、それぞれ大井町・大崎町となった。このことは当然町村財政に反映する。この時期の財政をうかがいうる資料はわずかに品川町・大井村のものに限られるが、以下に若干それを分析しながら、財政状態を概観してみよう。

 品川町については、明治後期の財政資料は、明治二十三・三十五・四十五年の歳入・歳出決算表だけしかのこっていないが、それからでもいくつかの特徴を指摘できる。

第28表 明治後期品川町歳入決算表
年度 明治23年度 明治35年度 明治45年度(大正元)
財産より生ずる収入 14,420 141,502 522,505
手数料 276,367 577,100 1,010,400
雑収入 27,000 4,459,718 9,325,592
繰越金 877,995 3,481,727
(C) 国庫交付金 161,411
府税補助費 33,642 15,390 663,449
交付金 1,138,073 4,751,877
寄付金 3,500 70,000 185,340
(B) 町税 2,002,294 11,815,760 34,439,160
土地売却代 400,680
借入金 9,000,000
合計 2,518,634 19,095,538 63,780,730
学校関係歳入※ 3,637,100
(A) 総計 6,155,734

※ 品川町は明治23年度に限り,品川小学校,城南・洲崎小学校歳入・歳出決算を独立会計としている。

 まず第一に、第29表の指数があきらかにしているように財政規模は、明治二十三年から明治四十五年のわずか二十数年間に一〇倍以上に膨脹していることである。とくに日露戦争以後急速に膨脹したことは明らかである。そして、その財源のもっとも主要なものはいうまでもなく、町税にあった。明治二十三年には歳入総額の三二・五%であった町税は、三十五年には六一・八%、四十五年度には五三・九%となっており住民負担の増加を示している。これは単に人口増加に伴う諸事務の増加というものではなく、国政委任事務の増加によるものであった。政府は本来国が担任すべき事務を法律命令によって町村に支出を義務づけた。こうして事務は日清戦争後次第に増加しながら、国庫補助等はきわめてわずかで、三%から八%を占めるにすぎなかった。

第29表 品川町歳入の指数および各年度の町税・補助金等の割合
年度 明治23年度 明治35年度 明治45年度
歳入指数 100  310  1,036
(B)/(A) 32.5% 61.8% 53.9%
(C)/(A) 3.1% 6.0% 8.5%

〔資料〕『品川町史』下巻より作成

 第二の特徴は、支出に見られる学校教育費の大きさである。〔第30表〕にみられるように、経常教育費と臨時教育費を合わせたものが、歳出総額の五〇%をつねに超えるという状態である。この点は日露戦後の明治四十年、義務教育年限が四年から六年に延長されることでいっそう町財政を圧迫した。〔第28表〕にみられる明治四十五年の九、〇〇〇円の借入金も教育費充当のためのものであった。他方役場費はむしろ相対的には減少する傾向にあったことも注目すべきことであろう。そして町本来の仕事である勧業費などはほとんどとるに足らないものであった。

第30表 明治後期品川町歳出決算表
年度 明治23年度 明治35年度 明治45年度(大正元)
役場費 (B) 1,476,045 3,818,866 9,803,840
会議費 24,228 37,580 74,550
土木費 224,038 760,372 931,030
教育費 (C) 3,429,579※ 8,086,830 24,870,492
衛生費 148,355 128,505 926,290
救助費 3,840 76,165 1,847,880
警備費 269,060 765,700 981,370
勧業費 84,694 15,340
諸税負担 (E) 1,281,098 1,750,950
公債費 910,000 9,183,670※※
雑支出 2,587,500
財産管理費・基本財産蓄積費 443,920
臨時教育費 (D) 1,001,525 9,628,030
補助費 8,000
繰越金 580,609 2,144,203 727,862
合計 (A) 6,155,734 19,095,538 63,780,730

※ 明治23年教育費は独立会計になっているが,ここに入れた。
※※ 項目は借入金〔償還金〕となっている。

第31表 品川町歳出の指数および各年度主要項目割合
年度 明治23年度 明治35年度 明治45年度
歳出指数 100  310  1,036
(B)/(A) 23.4% 19.9% 15.3%
(C)+(D)/(A) 57.3% 47.5% 54.0%
(E)/(A) 6.7% 2.7%

 

 大井村の場合にも品川とほぼ同じ傾向がより極端の形で現われている。その財政規模は二十数年間に約二〇倍という恐るべき膨脹をみせ、町税はついに明治四十五年には歳入総額の七一・六%を占めるに至っている。先に指摘した国政委任事務の増大と、工場進出にともなういろいろな業務の増大にもかかわらず、法律によって財源を厳しく制限されていた村当局にとっては町税に財源を求める以外にはなかったのである。

第32表 明治後期大井村歳入決算表
年度 明治23年度 明治30年度 明治35年度 明治40年度 明治45年度
財産より生ずる収入 318,963 510,763 112,647 12,763
使用料及手数料 26,800 59,125 340,150
雑収入 235,210 524,230 970,910 2,256,900 4,739,629
繰越金 48,925 187,105 526,834 600,000 247,576
国庫下渡金 (C) 44,365 52,773
府税補助金 27,950 3,685 59,150 372,405
交付金 84,152 326,676 336,960 1,627,320
町村税 (B) 872,977 1,345,919 4,331,970 8,730,730 22,525,955
寄付金 813,120
特別税
町村債
基本財産繰入金 758,000
基本財産借入金
合計 (A) 1,520,440 2,732,892 6,299,522 12,055,628 31,424,155

 

第33表 大井村歳入指数および各年度の町村税・補助金等の割合
年度 明治23年度 明治30年度 明治35年度 明治40年度 明治45年度
歳入指数 100 179 414 792 2066
(B)/(A) 57.3% 49.2% 68.1% 72.4% 71.6%
(C)/(A) 2.9% 6.0% 5.2% 3.3% 6.4%

〔資料〕『大井町史』折込表より作成

 支出における大宗はいうまでもなく教育費と役場費であるが、明治三十五年以降公債費があらわれてくる。つまり町村が起債をなし、その返済元本・金利が歳出決算表にあらわれてくるのである。

第34表 明治後期大井村歳出決算表
年度 明治23年度 明治30年度 明治35年度 明治40年度 明治45年度
会議費 4,750 8,736 11,590 7,680 7,080
役場費 (B) 623,838 954,206 1,897,633 2,373,000 5,078,707
土木費 4,894 77,465 28,433 146,150 1,597,753
教育費 (C) 555,876 1,257,322 3,369,972 5,462,060 12,566,483
衛生費 23,652 40,960 79,005 166,740 164,800
勧業費 47,107 2,000 1,650
救助費 8,500 2,600 16,000 318,030
警備費 198 3,000
財産費 120,631
諸税及負担 (D) 91,812 468,638 376,400 542,265
雑支出 18,222 16,000 810,051
基本財産造成費 3,486,598 345,225
公債費 343,710 9,725,700
合計 (A) 1,304,822 2,468,018 6,266,910 12,055,628 31,358,879

 

第35表 大井村各年度主要項目割合
年度 明治23年度 明治30年度 明治35年度 明治40年度 明治45年度
(B)/(A) 47.1% 38.6% 30.2% 19.1% 16.2%
(C)/(A) 42.6% 50.9% 53.1% 45.4% 40.0%
(D)/(A) 7.0% 7.1% 3.1% 1.1%

 

 以上のように、財政規模の拡大はそのまま町村の発展を示すものではなく、むしろ国政委任事務の増大、就中、教育費の増大こそ町村財政を圧迫し、住民への負担を大きくさせた。しかもこれらが営業税、地方諸税の増徴、あるいは消費税などの間接税の増徴と合わせると、都市住民の税負担はきわめて大きなものとなった。このような国家による大衆負担の増大こそ、日露戦争後にしばしば大都市にみられる民衆騒擾の原因となるものであった。