現在の品川区域には、近世の時代から、品川浦と大井御林浦というふたつの漁業専業集落があった。これらの漁村は、御菜八ヶ浦に属し、江戸前の鮮魚や貝類の供給地であった。また品川の地名は、海苔の特産地としても全国的に知られていた。従って漁業生産は、品川区域における重要な産業にほかならなかった(『近世品川の漁業』上巻参照)。
維新以降、これらの漁業生産は、さまざまな新しい問題に当面しながらも、そのまま継続されてきた。しかし、漁場である東京湾、とくに内湾の変化や、周囲の環境の変転とともに、まず漁猟が衰退し、海苔養殖についてはしばらくの間繁栄がみられたけれども、やがてそれも衰退にむかった。その間の事情については、後に触れるところであるが、昭和三十七年十二月の内湾における漁業権放棄の決定によって、この地域から漁業が完全にその姿を消すに至るのである。
品川産の海苔が、「浅草海苔」として知られたことは周知のことであるが、明治になってから品川の漁場で採取された魚貝類には、どのようなものがあったであろうか。
明治三十五年度における荏原郡の漁獲物としてあげられているものは、第41表のとおりである。そのうち、サイ・イワシ・イカ・エビ・カニ・アカガイ等が、品川浦や御林浦付近の漁獲物であったといわれる。
種類 | 数量 | 価額 | 種類 | 数量 | 価額 |
---|---|---|---|---|---|
貫 | 円 | 貫 | 円 | ||
サイ | 13,500 | 6,750 | イカ | 3,800 | 4,360 |
クロダイ | 2,200 | 4,300 | エビ | 2,450 | 14,550 |
コチ | 4,650 | 2,850 | カニ | 20,000 | 6,000 |
ススキ | 150 | 255 | シャコ | 1,000 | 300 |
ボラ | 2,700 | 23,00 | ハマグリ | 5,000 | 2,500 |
アジ | 8,200 | 5,850 | アカガイ | 2,000 | 1,200 |
カレイ | 9,750 | 7,850 | アサリ | 10,000 | 5,000 |
アナゴ | 8,700 | 12,350 | ギンポ | 3,500 | 2,800 |
マルタ | 120 | 240 | ザコ | 5,000 | 3,500 |
ハゼ | 3,000 | 900 | アユ | 878 | 1,318 |
シラウオ | 800 | 4,200 | ウナギ | 7,520 | 14,750 |
イワシ | 13,000 | 6,200 |
また、品川猟師町古老の記憶に残る近代品川の漁法との関係から、次のような漁獲物があげられる。(『品川の民俗と文化』所収の『品川猟師町聞書』参照)すなわち、桁網や流し網を用いる漁法で採取されたものには、芝エビ・コサク(芝エビの生まれたてのもの)・シャコ・カニ・イワシ・アカガイ・トリガイ・タイラガイ等がある。漁網その他の漁具を仕掛けて採るものとしては、セイゴ・カレイ・カニ・クロダイ・カイズ・スズキ・コサク・コチ・ウナギ・アイナメ・ハゼ等があげられている。