内湾漁業制度の変遷

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維新以前の江戸湾における内湾漁業は、沿岸各漁村がその地先浅海を専用漁場とし、湾内を共同の入会漁場として行なわれていた。しかし、入会漁場と専用漁場をめぐって、各漁村の間で紛糾がたえなかった。文化十三年六月に、各漁村の間で入会漁業を支障なく実施するため、漁法・漁具に関する協定がとりきめられ、これが内湾漁業における共同規制とされてきた(上巻・八五〇~八五一ページ参照)。それにもかかわらずなお紛争は頻発し、とくに幕末から維新当初にかけて、右の協定も自然消滅の形となり、じゅうぶんな規制力をもちえなくなった。たとえば、元治から慶応にわたって、品川浦と大井御林浦との間に紛争が生じ訴訟沙汰となったが、その和解も、明治元年七月に海軍総督大原前侍従の諭告によって、はじめて成立するありさまであった。

 このような状況はたんに品川の内湾漁業のみならず、全国漁業界の実情でもあった。それに対して明治政府は、明治八年十二月十九日太政官布告第一九五号をもって、海面の官有を宣言して海面借区制を定めた。それによれば、従来から海面を区画して捕魚・採藻等を行なってきたものも、海面官有のゆえをもって、以後海面の借用を願い出なければならなかった。このことは、翌九年七月十八日の太政官達によって変更されたが、このような政府の措置は、従来からの漁業権をおびやかすものとして、品川をはじめ東京内湾漁業者に大きな脅威をあたえた。

 この時期から、文化十三年にとりきめられ、その後自然消滅の形になっていた協定を再確認しようとする動きがはじまった。すなわち、明治八年の神奈川浦における第一回集会が端緒となり、数回の会合がつづけられて、明治十四年三月ようやく旧協定の再確認を果たし、同年六月九日「内湾組合漁業契約証」をまとめ、同年十二月十一日の会議で「文化十三年浦々契約三十八職の漁具の仔細を書入れ連署をした」うえ、いっさいの手続が完了した。この契約には、文化十三年加盟の四四浦のほか新たに四〇浦が加わり計八四浦の組合となった。品川浦と御林浦が加わったことはいうまでもない。

 明治十七年十一月、農商務省第三七号達同業組合準則によって、東京湾漁業組合が組織され、南品川猟師町と大井村もこれに加わった。このときの組合規約によると、相模・武蔵・上総・下総四ヵ国沿海一般の漁業者による東京湾漁業組合のほかに、府県単位ならびに郡区単位の組合が組織された。従って南品川猟師町と大井御林浦は、東京府下漁業組合に所属すると同時に、不入斗村・大森村・糀谷村・鈴木新田・羽田村・羽田猟師町等と荏原郡漁業組合を形成した。なお大井村総代は増山伊之助と鈴木紋右衛門、品川浦総代は石沢庄右衛門であった。

 さらに明治十九年五月六日農商務省令第七号をもって、「漁業組合準則」が公布され、これにもとづいて東京・神奈川・千葉一府二県の漁業総代三〇名の連署のもとに、同二十一年八月東京内湾漁業組合設立認可願が提出され、同年十一月認可された。総代三〇名のうちには、南品川宿三浦又三郎、大井村平林九兵衛の名がみられた。この組合に加盟した荏原郡九ヵ村のなかには、南品川宿南品川・同猟師町・大井村があった。

 右にあげた東京内湾漁業組合は、安房西海組合・天羽郡組合・相州三浦郡下タ浦漁業組合と組合連合会を結成し、(明治二十一年十一月二十二日認可)相互の規約と旧慣を守り、「信義ヲ厚クスル」協定を結んだ。

 明治三十四年四月には漁業法が公布され、それにもとづき同三十五年七月、「漁業組合規則」が施行された。これにともない、在来の漁業組合準則による漁業組合は解散し、南品川・品川猟師町・大井御林浦浜川町の三漁業組合が新たに発足した。ここにおいて、漁業組合が漁業権の享有主体として法的に確認され、漁業者としての組合員の立場も明確にされた。その後の漁業組合の変遷は別表のとおりである。

第42表 品川関係内湾漁業組合変遷一覧

(1)設立改組年月日 (2)所在地 (3)組合長 (4)組合員

組織 漁業組合
(旧漁業法により設立)
保証漁業共同責任組合
(漁業法改正により改組)
漁業会
(水産業団体法により改組)
漁業協同組合
(水産業協同組合法により設立)
解散又は存続
(昭和37年12月補償後)
組合名
大井町
当初
大井御林浦浜川町
(1)明治35年11月 (1)昭和13年4月22日
(2)荏原郡大井村 (2)品川区大井浜川町1085
(3)不明 (3)野口惣吉
(4)同上 (4)239名
南品川 明治35年設立としているが詳細不明 (1)昭和13年4月22日
組合長 池田金平 (2)品川区南品川3-90
(3)山本善太郎
(4)107名
品川猟師町 (1)明治36年8月15日 (1)昭和13年4月22日
(2)荏原郡品川町品川猟師町45 (2)品川区東品川2-45
(3)保川万太郎
(4)123名
品川浦 (1)昭和19年7月19日 (1)昭和24年8月3日 昭和39年8月31日
(2)品川区 (2)品川区東品川3-9 解散
(3)若山良吉 (3)桜井弥助
(4)260名 (4)222名
(大井,南品川,品川猟師町総合設立)
品川東部 (1)昭和24年5月30日 昭和39年8月18日
(2)品川区東品川3-690 解散
(3)平井金松
(4)50名
(品川浦より分裂設立)

(「東京都内湾漁業興亡史」422~423ページより)