日蓮宗大学林の前身は、その淵源をたずねると遠く天正八年(一五八〇)の檀林に求めることができるのであるが、明治時代その中心は市内の芝二本榎の承教寺内にあった大檀林で、いわば塾の形態をとった日蓮宗僧侶教育の最高の養成機関であった。
それが、明治三十六年公布された専門学校令に適った近代的な学園を設立すべく、大崎地区の谷山ケ丘の地に敷地を求めそこに新学舎を樹てたのであった。
当時の谷山ケ丘は北は目黒川の谷の向うに山の手の台地をのぞみ、東は品川の沖合の東京湾を一望にできる景勝の地であり、教学の府としてふさわしい環境をもっていた。
そして、専門科二ヵ年、高等科三ヵ年、中等科五ヵ年から構成され、専門科・高等科は今の立正大学、中等科は付属高校の前身となった。
後明治四十年には日蓮宗大学と改称、また大正十三年に大学令による大学となり、その名称も現在の立正大学として、鉄筋コンクリート三階建の当時としては画期的な新校舎も完成したのであった。