真崎市川鉛筆の分裂と真崎大和鉛筆の設立

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東京日本橋にあった輸入雑貨商市川商店と販売提携し、その市川商店の応援で資本金一〇万円の「真崎市川鉛筆株式会社」が設立されたのは明治四十一年のことであった。そして、真崎が鉛筆製造を、市川商店がその販売を分担し、市川商店の商標である「月星鉛筆」を作ってゆくのである。鉛筆製造業についても、第一次大戦勃発の結果、ドイツ製品の海外輸出が杜絶したので、国内市場はもとより逆に海外市場にも進出してゆくことが偶然にも可能になったのである。しかも、真崎市川鉛筆は鉛筆中の最高級品のコッピー鉛筆の製造技術は他社の追随を許さなかったという。そして大正五年には、創業地、四谷区(現新宿区)内藤新宿を去って、大井町の後藤毛織工場を九万五〇〇〇円で買収して、ここに移転した。

 ともかく、これまで鉛筆の主要生産国であったドイツ、アメリカが交戦したため、世界的に鉛筆が欠乏を来し、芯が折れ易い、軸がまがっている、木が削りにくいなどといった粗製濫造の不評はあったにもせよ、日本からの輸入にたよらざるをえなかったのである。もちろん、これに対して大正七年には当時の農商務省の指導で、東京・大阪の両鉛筆同業組合が連合し、日本輸出鉛筆同業組合連合会が設立され、翌大正八年一月から、鉛筆の輸出検査が始められた。ともあれ、第一次大戦終結のためのベルサイユ平和会議の席上、英・米・独・仏・伊など各国代表が用いていた鉛筆は、ことごとく日本製であったといわれ、日本の鉛筆製造業が実質的に大きく飛躍したことは事実といえよう。もちろん、第一次大戦終了後、大正九年から反動恐慌の襲来まで再び不況にみまわれるが、当時の大手の鉛筆メーカーとしては、極東鉛筆・田中鉛筆・トンボ鉛筆・大和鉛筆などであり、とくに大和鉛筆は色鉛筆が専門であった。だが大和鉛筆は、横浜財界の雄で、生糸売込商原富太郎の出資で、横浜市神奈川町に大正七年資本金一〇万円として、発足したばかりであった。この大和鉛筆は三越百貨店に納品陳列され、好評を博したものの、小規模経営のためか、実際は赤字経営の連続であった。しかも大正十一年二月には、大量の技術者がひきぬかれ、事実上生産はストップしてしまったという。たまたま原富太郎の経営していた日本夏帽株式会社の技師長であった数原三郎が見込まれて、大和鉛筆の技師長として、再建にのり出してゆくこととなった。このころの大和鉛筆工場は、職員四名、技術者二名、職工が男女合せて三二名という小工場で、工場とはいえ、木造平屋建て、床はコンクリート打ちでなく、地面に打ちこんだ丸太に機械の脚をしばりつけていたという。だから、夏ともなれば、工場の中は草ぼうぼう、この草の間から蛙がピョンピョンと飛び出す始末であった。だが、関東大震災を機に小工場ゆえに立直りも早く、鉛筆注文の殺到にこたえ、全力をあげて生産にのり出した。翌大正十三年七月一日の震災後初の「横浜開港記念日」には、祝賀バザーに出品して、色鉛筆の大量宣伝に努めたという。しかし、活気をとり戻したかにみえた大和鉛筆も、この年の十一月、隣接工場との境界からの出火で全焼、数原三郎の努力も一瞬にして灰になってしまったのである。

 ところで、真崎市川鉛筆にしても、第一次大戦後の不況の影響のなかで、「品質第一主義」を誇る高級鉛筆の売行が急激に悪化し、生産者としての真崎仁六と、販売者・問屋としての市川商店との折合いが悪くなり始めた。結局大正十年に両者の関係は完全に決裂し、真崎は、各地方の中堅クラスの文房具問屋を基礎にした「文具公友会」と関係を結んだものの、経営は必ずしも好転しなかった。ともあれ、ここでは、技術と資本がともに不足していたのである。このような苦しみのなかで、一方では数原三郎が大和鉛筆に乗り込んだとき同伴した技師桜井三千三が、たまたま農商務省の最後の実業伝習生として三年間ドイツに留学することとなり、他方で、同じ赤字経営同士とはいえ、黒芯の優秀な技術をもつ真崎鉛筆と、色芯の優秀な技術をもつ大和鉛筆とが合併して、協力し合い、将来の発展を期すこととなったのである。ここに大正十四年四月十七日に、真崎大和鉛筆会社が誕生した。当初は一三万五〇〇〇円であった資本金は、五月二十日には二五万円に増資され、社長には大和鉛筆の近藤賢二、仁六の息子真崎六郎が常務取締役・営業部長に、数原三郎が常務取締役・技術部長となったのである。そして、合併後の創立記念特売として、大きな木製六角鉛筆筒という陳列ケースをつくった。この周囲がガラスの筒に、各種の鉛筆をいれ、軽く手でおすとくるくるまわる仕組みであった。そしてこの鉛筆筒に景品をつけて一口五〇円の創立記念特売を実施したのである。この三ヵ月の特売期間中、毎月二万円の売り上げでもあればと考えていたものが、毎月一〇万円から一二万円の売り上げを記録したといわれている(三菱鉛筆株式会社『鉛筆とともに八十年』)。