明治五年五月二十七日の新橋・横浜間の鉄道開業にともない、新橋および横浜に修理・保管のための工場が設置された。明治四年十月に「新橋板庫」が、翌五年五月には「客車庫」が、同年七月には「機関車庫」と「機関車修復所」が設置されている。明治七年には「客車修復所」も設置されて、車両の組立てと修繕をおこなうことになる。このように大井工場の先駆たる新橋作業場が次第に整備されてくるにつれて、横浜作業場はむしろ新橋作業場の補助的存在になってゆくのであるが、明治八年ごろからは、車両修繕のほかに新橋・横浜間の木橋を鉄橋に取替える鈑桁の組立をおこなうようになった。たとえば、品川陸橋・御殿山陸橋・東海寺橋・立会川・新井宿・蒲田・町谷川・六郷川の避溢橋などすべて新橋作業所の製造にかかるものであった。明治十五年三月、この新橋作業場は「新橋工場」と改称され、旋盤・甲木工・乙木工・鍛冶・製缶・塗師・真鍮・鑢・鋳物の九部門があった。このように明治初年以降、日本鉄道の展開、さらに鉄道国有化後の市街地線の発展のなかで、新橋工場は極めて重要な役割を果たしてゆくのであるが、一方で明治末以降、とくに大正三年十二月の改称後の汐留駅における貨物取扱い量の増加に伴って、新橋工場の増築が限界に達したこと、他方で前述した浅間台の切取土砂による低地埋立てに関連して、権現台(ごんげんだい)(現在の広町二丁目)付近に、新橋工場を移転すべく、明治四十三年以降建設工事に着手した。浅間台丘陵の切取土砂の運搬と、権現台丘陵との整地をおこない、やっと大正二年八月二十一日に、新橋工場より移った牧野喜太郎技手以下総勢三四人で貨車の修繕作業を開始した。その翌月貨車修繕のみを担当していた新橋工場東神奈川派出所も廃止され、全員七〇名が大井派出所に配置替えになった。そして、大正四年七月には木挽職場を汐留派出所として存置し、新橋工場は廃止され、同時に大井派出所は大井工場と改称された。
このようにして、品川・大井両町に密接な関係をもち、区域内の労働争議にも歴史的な役割を果たす大井工場が発足をみるのであるが、その修理状況や生産状況の表示を試みれば、次の第89・90表とおりである(『日本国有鉄道百年史』第6巻、国有鉄道『大井工場百年史』)。前者の修理状況には、旧新橋工場の数字が含まれているのではないかと思われるが、電車修理が急増している点は興味深い。それから、大正十年以降の生産動向をみても、関東大震災後の展開と、昭和五年以降の不況に直面した姿に注目しておきたい。
年次 | 修繕車両数 | ||
---|---|---|---|
客車 | 電車 | 貨車 | |
両 | |||
大正2年 | 808 | ― | 5,847 |
3 | 610 | 5 | 10,693 |
4 | 773 | 53 | 7,277 |
5 | 927 | 99 | 7,098 |
6 | 988 | 169 | 4,755 |
7 | 720 | 332 | 4,157 |
8 | 742 | 557 | 4,610 |
9 | 851 | 580 | 4,754 |
注)『日本国有鉄道百年史』第6巻より引用。
年次 | 車両工事 | その他工事 | 合計 |
---|---|---|---|
千円 | 千円 | 千円 | |
大正10年 | 4,875.9 | 750.4 | 5,623.3 |
11 | 4,101.8 | 704.8 | 4,806.6 |
12 | 5,195.6 | 716.6 | 5,912.2 |
13 | 6,072.8 | 692.2 | 6,765.0 |
14 | 5,146.6 | 878.2 | 6,024.8 |
15 | 5,385.3 | 853.9 | 6,239.2 |
昭和2年 | 6,516.7 | 895.4 | 7,412.1 |
3 | 5,428.0 | 946.2 | 6,374.2 |
4 | 6,072.8 | 996.9 | 7,069.7 |
5 | 4,156.0 | 639.3 | 4,795,3 |
6 | 4,176.4 | 798.1 | 4,974.5 |
7 | 3,809.7 | 748.5 | 4,558.2 |
注)『大井工場百年史』による。
さて関東大震災の発生は、東海道本線をはじめ、区域内の交通機関に大きな打撃を与えたことはのべるまでもない。当時東京駅が火災に包まれそうになったため、東京鉄道局は一時品川駅に事故対策本部を移したことがある。当時の品川駅は木造石盤葺平家建で、電車・列車の乗降場は木造鉄板葺であった。幹線たる東海道線の不通区間に対しては、汽船を臨時に運航して、旅客・荷物の輸送にあてることとし、関釜連絡船高麗丸ならびに景福丸を品川沖に回航したという。だが芝浦海岸が遠浅のため、船は五カイリも遠い沖に碇泊せざるをえず、その間を小舟で輸送したといわれている。その後は、やむなく船を横浜出航に切り替えたといわれているが、鉄道輸送の復旧には、上表のように大井工場救援隊出動も含めて全力をあげていったのである。
日時 | 列車運転状況 | 日時 | 修復状況(大井工場) | |
---|---|---|---|---|
9月2日 | 品川~田端間 臨時列車2往復運転 | 9月3日~6日 | 六郷川橋梁修繕工事 | |
9月3日 | 品川~六郷間 建築用臨時列車4往復運転 | 9月3日~15日 | 東京駅汽車上降場上屋取片付け | |
9月4日 | 品川~川崎間 工事材料輸送臨時列車4往復 | 9月4日~27日 | 神田・有楽町・新橋・浜松町・田町各駅上屋取片付け | |
9月5日 | 品川~鶴見間 旅客列車3往復運転 | 9月6日~13日 | 大井町変電所電気工事 | |
9月6日 | 品川~東神奈川間 旅客列車1往復運転 | 9月7日~12日 | 新橋駅乗降場階段修理 | |
9月7日 | 〃 旅客列車4往復運転 | 9月7日~17日 | 高架線橋梁修復工事 | |
〃 | 品川~横浜間 旅客列車1往復運転 | 9月9日~17日 | 新宿駅貨物上屋取片付作業 | |
〃 | 〃 | 糧料・工事材料輸送 | ||
貨物列車1往復運転 | ||||
9月8日 | 品川・大船間 旅客列車5往復運転 |
注)『汐留・品川・桜木町駅百年史』,『大井工場百年史』による。
最終的には、大正十四年三月十二日の東海道線根府川・真鶴間の開通で復旧作業が終了するのであって、関東大震災の被害の甚大さをしると同時に、市街地交通の近代化も促進されていくこととなる(『汐留・品川・桜木町各駅百年史』、国有鉄道『大井工場百年史』)。