すでに電燈電力供給事業については、大正十一年八月二日に経営土地の範囲内で許可をえていたが、さらに、交通機関の充実のため、渋沢栄一・服部金太郎・緒明圭造ら七名の発起で、当時の荏原郡大井町から同調布村にいたる地方鉄道敷設を出願、大正九年三月六日に免許をえた。ただちに、この荏原電気鉄道株式会社を田園都市株式会社の経営に移すべく、同年四月十日に発起人総会を開催している。しかし、この荏原電気鉄道の敷設権は、上表のように大正十一年九月二日、目黒蒲田電鉄株式会社の創立と同時に、同社へ再び譲渡されることとなった。
年次 | 資本金 | 備考 | |
---|---|---|---|
千円 | |||
大正11年 | 下 | 3,500 | 9月2日,目黒蒲田電鉄株式会社創立 |
13 | 上 | 5,000 | 10月7日,武蔵電鉄蒲田支線譲渡 |
15 | 下 | 11,000 | |
昭和3年 | 上 | 13,250 | 田園都市株式会社合併 |
9 | 下 | 17,100 | 池上電鉄株式会社合併 |
13 | 上 | 30,000 | 目黒自動車運輸・芝浦連合自動車合併 |
14 | 上 | 72,500 | 旧東横電鉄(株)合併・商号変更 |
注)『東京横浜電鉄沿革史』による。
このようにして、金融恐慌後の昭和二年十月三日、田園都市株式会社は目黒蒲田電鉄株式会社に合併されてゆく(『東京横浜電鉄沿革史』)。もちろん、後掲の表のように、大正十二年以降目蒲電鉄をはじめ、当区域内への電車開通は、東京市内の住宅欠乏と相まって、移住者増加となり、当区域内の人口増加となってゆくが、根本原因は、遡って第一次大戦期の大正六年以降の各耕地整理の結果とも考えられよう(東京市臨時市域拡張部「荏原町現状調査」〔資四五三〕)。
開業年月日 | 池上電鉄 | 目蒲電鉄 | 備考 |
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大正12年3月11日 | (大正11年10月6日蒲田~池上) | 目黒駅~多摩川園前 | (大正12年11月1日多摩川園前~蒲田) |
昭和2年7月6日 | (大正12年5月4日池上~雪ケ谷) | 大岡山~大井町 | (大正15年2月14日 多摩川園前~神奈川) |
8月28日 | 雪ケ谷~桐ケ谷 | (昭和4年11月1日大岡山~二子玉川) | (昭和3年5月18日 神奈川~高島町) |
10月9日 | 桐ケ谷~大崎広小路 | (昭和7年3月31日 高島町~桜木町) | |
3年6月17日 | 大崎広小路~五反田駅 |
注)『東京横浜電鉄沿革史』より作成。