私鉄三社の経営比較

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このように、大正期から昭和期への私鉄経営の展開を表示すれば、別表の通りであって、京浜電鉄が院(省)線電車と競争を重ねてゆくなかで、目蒲電鉄の営業内容の好転が注目される。年キロ当たりの乗客数でみると、昭和初年以降目蒲電鉄は京浜電鉄を大きくひき離してゆくのである(第95表)。利益率も昭和期には目蒲電鉄の方がはるかに高いのである(第94表)。しかも、益金合計のなかで占める鉄道業益金は、六~七割に達しており、さきの「田園都市」業益金も、昭和六年の四二・八%を最高に以後減少に転じてゆくのである(第96表)。後述するように、電鉄経営のなかに占める乗合自動車益金は、昭和初期までの時点では低い点も留意すべきであろう。

 第94表 私鉄三社の経営概況
昭和 元年下 2年上 3年上 4年上 5年上 6年上
平均払込資本 千円
京浜電鉄 10,050 10,050 10,050 10,050 10,050 10,050
池上〃 1,845 1,569 2,646 3,051 3,051 3,051
目蒲〃 4,375 5,600 8,450 9,050 9,650 10,250
利益率
京浜〃 13.57 12.10 13.17 11.92 10.61 9.87
池上〃 0.25 4.08 5.64 6.36 6.69
目蒲〃 11.57 10.46 11.76 21.99 22.55 17.07
一日一粁当乗客数
京浜〃 3,090 3,204 3,517 3,096 2,705 2,481
池上〃 565 643 1,731 2,412 2,781 2,431
目蒲〃 4,394 8,087 8,614 7,571 12,571
一日一粁当収入
京浜〃 251 236 256 248 209 193
池上〃 27 31 77 123 136 134
目蒲〃 229 211 234 188 181

注) 東京市「大東京ニ於ケル交通ニ関スル調査」より作成。

 第95表 私鉄三社の営業概況
年度 大正10年度 12年度 14年度 昭和2年度 3年度 4年度 5年度
京浜電鉄 市内営業距離 キロ キロ キロ キロ キロ キロ キロ
14.2 14.2 14.2 15.1 15.1 15.1 15.1
乗客数 千人 千人 千人 千人 千人 千人 千人
23,071 27,092 33,154 33,689 34,478 30,719 26,849
池上電鉄 市内営業距離 キロ キロ キロ キロ キロ キロ
5.4 5.4 11.2 12.4 12.4 12.4
乗客数 千人 千人 千人 千人 千人 千人
521 1,099 1,947 7,463 11,264 12,384
目蒲電鉄 市内営業距離 キロ キロ キロ キロ キロ キロ
1.34 13.4 18.0 18.1 21.9 23.5
乗客数 千人 千人 千人 千人 千人 千人
2,484 13,909 22,719 28,704 31,413 25,643
年キロ当り乗客数 京浜電鉄 千人 千人 千人 千人 千人 千人 千人
823 967 1,167 1,156 1,193 1,048 910
池上電鉄 96 203 175 601 908 998
目蒲電鉄 185 1,038 1,261 1,585 1,434 1,091

注) 東京市「大東京ニ於ケル交通ニ関スル調査」より作成。

 第96表 目蒲電鉄営業益金内訳
年次 鉄道業益金 田園都市業益金 電灯電力業益金 乗合自動車業益金 ゴルフコ-ス益金 水上クラブ益金 益金合計
大正12年 17,933 17,933
13  101,315 101,315
14  197,743 197,743
15  264,257 264,257
昭和2年 349,454 349,454
3  616,147 32,730 3,794 800,832
(76.9) (4.0) (0.4)
4  563,874 300,851 28,254 880,483
(64.0) (34.0) (3.2)
5  358,637 273,448 29,096 7,237 657,682
(54.5) (41.5) (4.4)
6  361,171 290,046 19,228 6,439 676,884
(53.3) (42.8) (2.8)
7  402,349 218,552 22,648 6,750 6,096 656,395
(61.2) (33.2) (3.4)
8  400,048 219,196 26,179 10,220 6,934 662,577
(60.3) (33.0) (3.9)
9  411,990 184,758 29,289 2,152 628,189
(65.5) (29.4) (4.6)
10  673,081 85,255 30,941 67,169 9,855 1,412 867,713
(775) (9.8) (3.5)

注)『東京横浜電鉄沿革史』より作成。

 なお、昭和二年八月の東横線開通後、五島慶太を中心とする東京横浜電鉄による労働者解雇をめぐって労働争議が発生しているが、大正十一年の玉電争議と同じく、交通労働者の連携に加えて、東京市電労働者と郊外電鉄労働者の給与ならびに労働条件の格差が前提にあった点は、当区域内に関係する目蒲電鉄・池上電鉄にも深い影響を与えたといえよう(『目黒区史』)。