別表のように、区域内に関係する乗合自動車業の開始は、大正九年にはじまっている。ちょうど大正九年一月一日より都市計画法が六大都市に適用されることとなった結果、東京市と近郊町村を結ぶ道路網の整備が始まっている。たとえば、品川町御殿山を起点とした環状八号線(現在の明治通り)などはその代表的なものであった(『目黒区史』)。池上乗合自動車株式会社は品川駅・五反田駅を基点にしているが、おそらく区域内の諸産業の展開に関連しているものと考えられる。東京市営の乗合自動車も関東大震災後に開業されてゆくのであるが、大震災後の交通機関の不備、とくに電車の補助機関として出発している点はおもしろい。現在、とくにここ数年来の路面電車に代るバスの登場とは、全く逆だからである。
別表が示すように、京浜電鉄・目蒲電鉄(『東急五十年史』では、東京横浜電鉄も同じく)は軌を一にして、昭和四年から、乗合自動車業を開始している。もっとも、昭和六年十一月における東京市域拡張のための「荏原郡各町村現状調査」の記述では、大正八年に東京乗合自動車が開通、また翌九年には八ツ山より六郷町に至る京浜乗合自動車が開通したとされている(資四五一)。東急の五島慶太が語るように「電車は線路・駅・変電所などの施設に金がかかる。この償却や金利の支払いは容易ではない。その点、乗合自動車は道路を自由に走れる。しかも、道路は国がつくってくれる。これからは自動車を研究しなくてはならな」(『東急五十年史』)かったといえよう。もちろん、他社との競争を意識してのことであろうが、昭和四年二月十八日に許可(タクシー業については同年一月三十一日許可)されたといわれる東京横浜電鉄は、東神奈川・川和間、六角橋・綱島間の抱合わせ営業を出発点として、T型フォード六両を購入し、その五人乗りの台車に一〇人程度のれる車体のガソリン車であったという。その時点の本邦自動車工業の水準が示されている。これに対して、昭和四年二月二日に営業許可をえた目蒲電鉄の最初の路線は、大井町駅前・東洗足間(大井町線)三・二七キロで(同年六月二十五日に営業開始)、使用車両はA型フォード四両で、定員七~八人の小さなものであったという。この乗合自動車は予期以上の好成績だったので、翌七月に二両、八月には三両を増備したという。八月二日から武蔵小山・上野毛間(小山線)六・四四キロの営業を開始したが、営業成績は芳しくなかった。結局この昭和四年下期の平均日収では、大井町線が二三四円五〇銭であったのに対し、小山線はわずかに二八円九二銭にすぎなかった。その後も、延長・新設を続け、馬込・池上・久ケ原・下丸子・田園調布・等々力方面にまで路線網は拡張されていった(『東急五十年史』)。当然、乗合自動車会社の乱立と激しい路線獲得の競争のなかで、区間制運賃の切下げも始まっている(東京市「大東京ニ於ケル交通ニ関スル調査」)。このような競争と経済的不況の深刻化のなかで、東京横浜電鉄は、昭和四年八月にヱビス乗合自動車(資本金二五万円)を、目蒲電鉄もまた昭和七年初頭に大森乗合自動車(資本金三万円)を、それぞれ買収した。比較的営業成績のよいこの両社の路線が、両電鉄の自動車業の中枢となってゆくのである(『東急五十年史』)。
名称 | 経営主 | 組織 | 払込資本金 | 営業キロメートル | 車両現在数 | 開業年月 | 主要路線 |
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千円 | キロ | 台 | 年 月 | ||||
市営乗合 | 東京市 | 市営 | 4,420 | 135.5 | 658 | 大正13.1 | 目黒駅~芝口 |
京浜乗合 | 京浜電鉄 | 株式会社 | 869 | 18.5 | 36 | 昭和4.10 | 品川駅~立会川六郷 |
城南乗合 | 城南乗合自動車 | 〃 | 60 | 3.9 | 9 | 〃 2.8 | 大井町駅~京浜国道 |
池上乗合 | 池上電鉄 | 〃 | 149 | 20.3 | 39 | 大正9.8 | 品川駅~五反田 |
目蒲乗合 | 目蒲電鉄 | 〃 | 90 | 20.3 | 15 | 昭和4.6 | 大井町駅~荏原町 |
目黒自動車 | 目黒自動車 | 〃 | 230 | 18.7 | 32 | 大正12.6 | 品川駅~鷹番 |
東横乗合 | 東横乗合〃 | 〃 | 100 | 33.3 | 57 | 〃 9.12 | 目黒駅~下目黒 |
注) 前掲「大東京ニ於ケル交通ニ関スル調査」より作成。
おそらく、このような乗合自動車の発達でかつての円太郎馬車も姿を消していったと思われるが、さらに、荷馬車・牛車などの急激な減少のなかで昭和初期に入ると「ダットサン」に象徴される小型自動車も出まわり、昭和初期には、品川・荏原地域で、タクシー業者が、それぞれ一九二名、一七三名あり、車台数も三四八台、二五三台を示すに到っている(『目黒区史』)。