信託会社・貸金業者

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さらに、当時の零細な貸金業者もふくめて、信託会社を中心に第一次大戦前の分布をみると次表の通りである。大半が品川町に集中を示し、残りの天明信託は大井町にあるが、貸金業者石田新兵衛の住所(大井町浜川)が示すように、大井町でも旧東海道に面した立会川周辺であって、南北両品川宿と並ぶ交通・流通組織の中心地にあったと考えられよう。ここでの典拠とした資料が示すように、大正初期の時点では、信託会社といっても、実体は無尽会社といってよく、「金銭の受託・運用」が重要なものであったと考えられる。さらに「恩給年金担保貸金業」の名が示すように、「軍人官吏寡婦幼児等経済界ノ実状法律ノ規定等ニ通セサルモノカ資金ヲ安全且ツ有利ニ運用セン」とする必要から生れたと考えられる。資本金なり資産程度をみても明らかなように、信託会社にしろ、貸金業者にしろ、大差はなかったのではあるまいか(麻島昭一『日本信託業発展史』)。

 第99表 区域内の信託会社・貸金業者(大正2年)
業種 会社名 業務 住所 資本金(資産)
信託会社 日東信託合資会社 一般信託 品川町 3,000
天明信託合名会社 大井町 2,000
大森共同合名会社 品川町 3,000
合名会社開融社 不動産売買信託 20,000
会社金融その他 日進合資会社 貸金業 品川町北品川153 3,000
信友合資会社 貸金及仲介 品川町南品川宿 10,000
貸金業 飯山福太郎 貸金業 品川町北品川 75,000
石田新兵衛 大井町浜川 35,000
新泉市之助 兼貸家・周旋業 品川町御殿山
貸金業金担保恩給年 中村周吉 品川町272 10,000円以上
星野安太郎 〃 品川宿

注) 日本銀行「信託会社及貸金業ニ関スル調査」より作成。

 つぎにふれる市街地信用組合の生成に関連して、品川町北品川の貸金業者飯山福太郎の場合は、品川信用組合の監事をつとめているのであって、地元の名望家層のなかから、漸次えらばれて、新しい金融機関のなかに活動の場を移していったものといえよう。