現品川区域の労働争議状況

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友愛会が品川・大井・大崎・荏原の地域に組織を拡大していくのと並行して労働争議もしきりと起こった。

 たとえば、大正七年から大正十五年の間当区域内で発生した労働争議を青木虹二『日本労働運動史』第一巻からまとめてみると次表のとおりである。この表でみるといくつかの特徴を指摘できよう。第一に全国の争議件数の動向は第一次大戦の後年、すなわち大正六~八年にピークを示し、以後大正末期に向かって急減する(たとえば内務省社会局労働部『大正十五年労働運動年報』)のに反し、当区域内に限定すると主に機械工業に集中しており、大正八年と大正十三年にピーク、それも関東大震災後の大正十三年の方がはるかに件数が多い。第二には、要求内容に関して、大正八年前後は、賃上要求に重点がおかれており、それ以降漸次「労働時間短縮」あるいは「八時間労働」実現の要求へ、さらに大正九年の反動恐慌後は失業問題の深刻化につれ「解雇手当増額」または「復職要求」、さらには賃銀切下げ復活要求へと重点を移している。争議形態も治安警察法の下でストライキからサボタージュへ移行せざるをえないように考えられる。第三に、関係組合であるが、これも大正元年八月に創立された友愛会が、大正八年七月には、大日本労働総同盟友愛会と改称、協調主義から一歩ふみ出してゆくなかで、たとえば、東京鉄工組合・関東機械技工組合・関東金属労働組合など産業別組合結成の方向を示すのであって、この点では、隣接の現在の港区芝の芝浦製作所・日本電気や大田区大森の東京ガスなどの労働組合の動向との関連や影響をみおとすことはできないであろう。

 第111表 第一次大戦後現品川区域の労働争議
年月 企業名 争議主体 要求内容 争議形態 関係組合
大正7.8.4 松尾鉄工所 鉄工 160人 2割賃上要求 スト
大正8.1.11 理化学工業(株) 職工 50人 賃上要求 スト
7.19  日本光学工業(株) 160人 4割増給要求 スト
7.26  日本製鋼所 1000人 3割賃上要求
東京電気ケ-ス製作所 300人 3割賃上要求
7.27~30 園池製作所 30銭賃上10時間労働残業手当増額他 友愛会東京鉄工組合
7.27  明治電気(株) 500人 5割賃上要求
8.3~5 日本特殊鋼(合資) 90人 賃上要求 スト
8.6  明治電気(株) 賃上要求 サボ
山本鉄工所 70人 6割賃上要求 スト
8.7  高砂鉄工所 2割5分要求
大正9.1.8~19 日本精工(株) 職工 300人 請負歩合2割5分増他 スト 日本機械枝工組合
11.9~26 園池製作所 機械工 260人 1割賃上げ,8時間制他 スト 東京鉄工組合
大正10.1.11~25 日本鉄工(株) 機械工 90人 解雇手当一律180日分 スト 東京鉄工組合
1.23~4.9 園池製作所 120人 日給歩増要求他 スト
2中旬 高崎工業(株) 失業不安
7 上 岡原鉄工所 職工 11人 賃下反対 スト
大正11.3.3~6 富士機械製作所 機械工 全11人 解雇手当要求
6.15~17 起重機製造(株) 50人 解雇手当6ケ月要求
12.23~27 日本光学工業(株) レンズ工 16人 解雇手当要求 総同盟
23~25 ユニオンゴム(株) 60人 解雇手当増額要求
大正12.9.15~21 東京工具製作所 職工 全7人 解雇手当に不満
大正13.1.4~16 大和製作所 職工 14人 解雇手当増額要求 総同盟関東鉄工組合
1.10~18 東京衡器製作所 70人 賃上,労働時間短縮
1.31~2.1 日本ペイント 132人 賃上要求
3.18   福田電気(株) 機械工 150人 5割賃上要求 サボ 総同盟関東鉄工組合
3.28~4.2 斎藤製作所 職工 105人 解雇手当要求
4.4~7 東洋建材工業 製材工 55人 賃上げ解雇手当 サボ
4.9~19 岡部電気製作所 機械工 112人 8時間制退職手当制度 スト
大正13.4.9~20 御園クリーム製作所 職工 30人 解雇手当支給
5.3 日本精工(株) 機械工 2人 復職要求
5.2~5 双葉製作所 職工 10人 賃上要求
日本染色(株) 染工 2人 復職要求 総同盟南部合同労組
5.16~19 品川製作所 400人 労働時間の短縮要求
8.12~9.4 大和製作所 職工 全71人 解雇手当退職手当 総同盟関東鉄工組合
8.23~29 園池製作所 機械工 10人 解雇手当の支給要求 東芝労組
8.25~9.8 明治電気(株) 41人 解雇手当支給要給 総同盟関東鉄工組合
8.30~9.12 本城鉄工所 鉄工 60人 解雇手当増額要求
9.6~9 岡部電気製作所 15人 値下賃金の復活要求
9.8~15 東京衡器製作所 職工 70人 解雇者の復活要求 サボ
9.22~25 中島電気製作所 42人 賃上要求
大正14.2.10~14 日本精工(株) 機械工 72人 退職手当 サボ 総同盟東京鉄工組合
3.3~9 小島印刷所 印刷工 30人 賃金制度の改正
5.30~6.3 東京帝国蓄音機(株) 職工 30人 解雇手当要求 スト 関東労組連合会
6.6~19 大崎機械製作所 機械工 28人 サボ 関東機械
7.10~18 白金メリヤス メリヤス工 226人 3割賃下の復活要求他 サボ 技工組合 関東メリヤス工
7.11~19 明治電気(株) 電工 53人 解雇手当勤続手当要求 総連合機械技工
8.15~25 八ツ山製作所 製機工
11.18~12.7 三共(株) 製薬工 70人 解雇復活要求 サボ 総同盟関東合同労組
大正15.2.18~3.4 日本光学工業(株) 職工 160人 賃下復活要求他 サボ 評議会
6 下 目蒲電鉄 従業員 250人 待遇改善 関東金属労組東京市電自治会
7.3~13 応用電気(株) 職工
8.12~23 長井商店菓子工場 製菓工 1人 復職要求 関東合同労組
8.23~25 北川ベル工場 職工 工場法の実施要求他 東京鉄工組合
8.23~9.2 新本時計工場 時計工 全54人 退職解雇手当制定 スト 東京合同労組
10.1~17 日本光学工業(株) 職工 関東金属労組
10.20~30 行政学会印刷所 印刷工 関東合同労組

(備考) 青木虹二 『日本労働運動史』第1巻より作成。

 大正五年七月品川須崎鉄工場争議も友愛会が関係した主な争議の一つだった。とくに第一次大戦の戦火が収まった大正八年(一九一九)ころは労働争議が全国にわたって続発した時だったが、この地域でも大正八年七月園池製作所争議はじめ大正九年三月の明電舎争議や十年一月十一日の品川の日本鉄工所争議などがつぎつぎ起こった。日本鉄工所は戦後の不況から職工一三四人のうち九〇人を解雇しようとした会社に対して、職工側は解雇手当一八〇日分と団結権・団体交渉権の承認を要求してストライキをはじめ、二十三日に品川警察署長の調停(サーベル調停)で「解雇手当一五〇日分」「労働組合の自由」などの条件で解決した争議だった。