日本縫工組合

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総同盟第十三年大会の方向転換宣言を直接の契機として労働組合の合同・戦線統一が著しく進み、その軸となった総同盟に多くの労働組合が流入し、総同盟の全盛時代ともいえる状態になった。現品川区地域では、大正十三年三月二十九日には大井鉄道被服工場内の東京洋服技工組合=総同盟傘下と、裁縫同盟会・軍人親和会の三団体が合同して日本縫工組合を結成した。創立総会は大井町大信館で行なわれた。所属団体は投票によってきめられた。一五三名中総同盟を希望する者一一八名、立憲労働義会を希望する者三五名で結局総同盟に加盟した。しかし組合員の多数を占めている婦人には、この投票に参加させないというかなり保守的傾向の強い組合だった。しかし、昭和二年岡谷争議の応援にかけつけるなど地道な組合活動を継続した(第112表参照)。昭和四年一月、品川町北品川九七六に日本縫工組合縫工会館を建築した。この日本縫工組合もしだいに労働組合らしくなり、次のような労働者階級の立場に立った組合歌をつくり、歌うようになった。

 第112表 日本縫工組合員数
年次 組合員 うち女子 所在地
大正14年 360 160 大井町三ツ又3512宮崎方
大正15年(昭元年) 460 230
昭和2年 440 243
  3 465 274 品川町北品川967
  4 467 277
  6 509 261
  7 529 281 品川区西品川5-967
  8 407 257
  9 467 160
  10 464 300
  11 452 358

(備考) 各年の『大原労働年鑑』より

 日本縫工組合の歌

 (一) それ東洋に名も高き

      無産の民の鉄壁と

     暗夜を照らすかがり火は

      日本労働総同盟

     傘下に一部死守せんと

      固き心のはらからが

     目覚めて結ぶ一団は

      日本縫工組合ぞ

 (二) 吾人の使命はそも何ぞ

      横暴不礼の資本家に

     奪い去られし領域を

      我等が護る赤旗の

     燃ゆる正義の鋏もて

      搾取の進路両断し

     我利我利妄者の心臓を

      理想の彼岸に切り開け

 (三) せくなたはむな兄弟(はらから)よ

      不断の努力と手を取て

     友誼の集ひに歩をそろへ

      理想の社会を作らなむ

        (大正十四年八月十五日『労働』)