大井町

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大井町の発展は、旧東海道・京浜電鉄沿いおよび立会川谷ぞいの工場・小住宅の増加と国電大森駅に近い山手部の住宅地の増加の二面を持っていたが、ともかく全町的に人口増加の勢は著しいものがあった。そのため、この時期に大井第二(後の山中)、鮫浜第二(鈴ケ森)、原の三小学校が新設されたのである。

 国電大井町駅開設とともに駅周辺は商家・小住宅が立ち並び、急激な人口増加を示した関係で、小学校の新設が必要となり、大正五年小字山中地区に土地を求め急遽設けられたのが大井第二小学校で、同年十月開校式を行ない、鮫浜・大井両校から三百二十数名の生徒を迎え入れ八教室、六人の職員で開校したが、その後も生徒数がふえるので大正七年、十一年と増築工事を行ない、大正十二年に校名を山中尋常小学校に改称した。

 また、海岸部には鈴ケ森小学校が設立されるが、これは大正八年に建築に着手し、大正九年四月、鮫浜小学校からの転校生によって開校した。当時の生徒数は二一七名で職員三名という小規模校であったが、この地区もたちまち生徒数が増加し、大正十一年に大増築を行なっている。当初鮫浜第二小学校と称していたが、十二年に鈴ケ森と改称する。


第71図 鈴ケ森小学校

 次いで原小学校が大正十二年七月に開校する。これは大井町山手地区の人口急増によるもので小字原の地に建設され、大井・山中の二校からの転校生徒三五二名を迎え、職員八名で発足したのであった。