明治三十年から明治四十二年までの動向をみると、荏原ではほとんど変化がみられず、品川は一時減少、その後ふたたび増加するという動きを示しているのに対し、大井・大崎では明治三十四年ころから徐々に人口増加の動きを示し始めるとともに、それが三十九年以降にいたっては急カーブを描くようになり、大井町では統計数値の上では三十九年から四十年の間に倍増という驚異的な増加を示している。これは当時、大崎・大井では工場の設立がようやく盛んになってきた時期にあたり、それに伴う人口増がこの二町で始まったことに起因するといえよう。