昭和五年の人口分布

474 ~ 476

大正十年以降の荏原地区での急激な人口増加の結果、人口の分布は大正九年に較べて大きな変動がみられる。この統計を使って大正九年と昭和五年との間の各町別の人口増減率を計算してみると第126表のようになる。


第85図 昭和5年,町丁別分布図

第126表 大正9年と昭和5年の各町人口の増減率

大正9年=100

町名別 比率
品川町
北品川宿 101.6
歩行新宿 87 2
南品川利田新地 101.4
南品川宿 175.7
二日五日町 119.2
南品川猟師町 123.5
大井町 191.1
大崎町
上大崎 135.2
白金猿町 60.8
下大崎 119.5
居木橋 147.5
谷山 119.1
桐ケ谷 295.8
平塚村(荏原町)
戸越 892.0
中延 2,471.5
小山 4,081.9
上蛇窪 3,493.0
下蛇窪 1,249.7

 

 これを見ると、荏原町の増加がひじょうに大きいことがわかるが、なかでも小山は実に四〇・八倍、上蛇窪三四・九倍という比率を示し、最低の戸越でも八・九倍となっている。

 これに対して品川町では歩行新宿が八七%と減少しているのをはじめ一〇〇~一二〇%台が多く、南品川宿が一七五をしめるに過ぎず、また大崎町でも桐ケ谷の二九五%をのぞき一〇〇~一五〇%台が多く、白金猿町では六〇%に減少している。桐ケ谷の増加はこの地区が荏原町に近い農村地帯であったことが、住宅地化の促進で、この高い率を出したものである。

 したがってこの時代の人口分布図を見ると、大正九年時に大きな地域的差異のあった人口分布が、南西の荏原地区の急激な人口増加によって、全域的に平均化されたことを物語っている。

第127表 昭和5年 町丁別人口統計(国勢調査による)
町丁別 人口 町丁別 人口 町丁別 人口
北品川一丁目 2,634 上大崎五丁目 365 大井北浜川 3,903
4,698   長者丸 130   関ケ原 1,957
2,690 五反田一丁目 5,934  寺下 1,553
2,634 1,324   南浜川 5,112
1,460 2,993   水神町 514
632 510   鈴ケ森 6,196
南品川一丁目 2,568 566   海岸 1,404
2,445 1,050   坂下 1,801
2,699 下大崎一丁目 589   鹿島 1,315
5,370 1,462   倉田 4,177
8,175 西大崎一丁目 6,087   鎧 4,687
3,836 1,940   権現 1,573
西品川一丁目 246 1,362   森下 4,054
1,417 2,247   山中 4,725
4,714 大崎本町一丁目 1,217   滝王子 3,369
4,303 2,479   庚塚 1,541
2,323 2,635   出石 1,186
東品川一丁目 1,019 東大崎一丁目 2,424   原 3,310
1,642 813   森前 2,592
7 1,795   伊藤 3,445
0 5,037   金子 1,698
上大崎中丸 1,667 2,736 荏原戸越 41,980
   一丁目 2,641 大井鮫洲町 2,558   小山 21,951
 二 1,745 1,156   中延 36,060
 三 798 立会 3,703   上神明 14,601
 四 1,233 元芝 2,551   下神明 17,510