私鉄の開通と都市化の進展

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近郊私鉄路線は、それぞれ多くの苦心のすえ開通したのであったが、当時の各電鉄の敷設の目的は、直接に品川区域内の開発におかれていたのではなく、より東京外縁部に位置する多摩川河畔部の住宅開発や、本門寺・洗足池などへの遊覧客招致などに主目的がおかれていたことがわかる。

しかし、この私鉄の開通が、品川区域におよぼした影響は非常に大きかった。目黒・五反田・大井町などの国鉄線の各駅が私鉄線の乗り換え駅となったために、その乗降客の数は急増するとともに、駅周辺部は商店街のめざましい発展がみられた。そして、池上線五反田駅に設けられたビルには、日本橋白木屋の支店がターミナルデパートとして誕生したり、大井町には高島屋・白木屋の十銭ストアーができるなど、大資本の進出がみられ、それを核とした繁華街が形成された。また、それまで農村部として都市化から取り残されていた荏原町(平塚村)は三つの私鉄線が町内を縦断する交通利便の地へと転じ、いくつもの駅が町内各地に設けられたので、各駅を中心にしてその周辺には市内通勤者の住宅が立ち並び、かつての田園がたちまちにして近郊市街地へと転じ、また駅の近くには小山銀座・戸越銀座等の小繁華街が形成されるようになったのである。

第133表 山手線3駅の乗降客の増加(1日)

(大正10年~昭和5年)

年次 大崎駅 五反田駅 目黒駅
大正10年 5,445 5,048 7,487 7,362 5,222 5,398
11 6,438 5,738 9,534 9,374 6,431 6,540
12 8,891 8,277 11,123 10,762 11,922 11,806
13 11,247 10,749 13,379 12,947 15,094 15,108
14 11,794 11,380 12,670 12,447 17,084 16,526
15 12,410 11,952 12,962 12,755 18,824 18,817
昭和2年 12,293 11,936 14,368 14,129 18,661 18,732
3 12,287 12,039 15,875 15,722 16,799 17,136
4 12,135 12,107 17,456 17,214 16,121 16,274
5 10,949 10,909 17,582 17,345 14,931 15,031