農家が都市化に伴って農業をやめて地主としての生活に入ると、家業としての仕事はなくなってしまうので、なかには新規に商売を始める家もあった。
戸越の宮本の旧家鈴木又五郎氏(戸越一丁目)の話によると、若い者を遊ばせておいてはいけないということで商売を始めた家があったが、これらの農家には米屋・八百屋を始めた家が多かったといわれている。そして転業の場合店を出して商売を始めるのが一般的傾向で、職人になる者はいなかったといわれている。このような傾向は中延でも同様で、東(ひがし)の旧家宮野初五郎氏(中延四丁目)の話でも、中延の米屋と八百屋には当初土地の人が非常に多かったといっている。