昭和初期における機械工業

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広く、第一次大戦期に急速な展開をみせ、いわゆる「船成金」を出現させた日本の造船工業も、大正十一年のワシントン軍縮会議に象徴されるように、以後停滞におちいり、また本来その基礎を工作機械と金属材料におくといわれる自動車工業に対比して、それら二つともに欠いた本邦自動車工業の場合、軍需の要請はあるといっても、大正末期の段階では未確立だったといえよう。だから当区域内を走る乗合自動車も外国製のフォード型だったのも当然だった。けれども、大正末期から満洲事変にかけての時期は機械工業全体にとっては展開期だったといわれる(『現代日本産業講座』Ⅴ)。ひるがえって、当区域内産業の主軸である機械工業の動向をみてみよう。

 概況として、電気機械の明電舎、軸受工業の日本精工、ポンプ・送風機・冷凍機から、さらにトラクターに進出せんとする荏原製作所、軍需の要請にこたえるべく「兵器としてのカメラ」に努力している日本光学、液体酸素の製造にも着手し始めた日本酸素、以上五社の経営概況を手掛りにしたい。まず売上高ないしは総収益の動向は、日本光学の増加を除けば、総じて減少傾向を示し、明電舎は急速に減少している。差引純益金についてみても、日本光学を唯一の例外として、各社ともに減少しつづけている点は全く共通であって、総じて苦況ないしは不況の連続といってよさそうである。

第143表 機械工業関係企業の動向
項目 期別 昭和2年 昭和5年 昭和6年
会社名
総収益
明電舎 1,519,485 1,364,140 1,099,379 791,484
日本精工 137,000 150,000 198,000 168,000 128,000 100,000
荏原製作所 1,410,000 1,486,000 1,620,000
日本光学 1,163,152 1,347,975 1,542,486 1,567,997 1,542,848 1,523,699
日本酸素 718,587 697,696 760,543 641,633 647,178 657,222
純益金 明電舎 222,892 185,289 26,631 6,552
日本精工 49,000 50,000 63,000 59,000 27,000 13,000
荏原製作所 150,000 127,000 114,000
日本光学 69,369 44,000 122,122 130,317
日本酸素 116,733 93,893 72,528 22,657 25,305 17,838

 注) 各社の「営業報告書」および『社史』より作成。