昭和期における化学工業

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製薬工業の三共と星、塗料業の日本ペイントを手掛りに概況をみると、一貫して利益は減少しつづけている。両製薬会社は、全く対照的である。とくに、星製薬は、阿片事件にまきこまれたためか、赤字の連続なのである。

 さて、三共は、多角化をますます深化拡大させたとみてよい。品川工場も関東大震災に対してほとんど火災をまぬがれ、その翌十三年九月には倍額増資を試み、高峰譲吉の逝去にもかかわらず、品川工場に細菌部門を新設したり、また昭和四年から七年にかけて鉄筋コンクリート三階建工場四棟を新築、昭和九年には完成している(『三共六十年史』)。

 これに対して、星製薬は、大正末期までの急激な伸びとはまったく対照的に、不安定極りない赤字経営を続出させている。かかる悪条件のなかで、昭和五年五月二十九日より八月六日にいたる六十九日にわたる男女計四二二名参加の争議が発生している(内務省社会局労働部『昭和五年労働運動年報』)。

 日本ペイントも、大正末期からの合成原料ないしは合成樹脂の研究完成によって、新製品をつぎつぎに発売し、昭和三年一月の営業期間満期にともない、社名を「日本ペイント株式会社」と改めている。満洲事変勃発と前後して、満洲・台湾への進出がめだっている(『日本ペイント五十年史』)。

 藤倉工業についてみると、大正末期までの飛行船・繋留気球あるいは飛行機用落下傘の製作に努め、昭和六年には飛行機タイヤの研究を始め上納している。いってみれば、ますます深く軍需と関係をもつに至っているといえようか(『藤倉ゴム工業株式会社年表』)。

第144表 化学工業関係企業の動向

(△印欠損)

期別 昭和2年 昭和5年 昭和8年
会社名
総収益
星製薬 2,095,334 1,601,555 273,612 911,029
日本ペイント 352,885 466,210 430,443 363,128 370,036
純利益 三共 807,000 801,000 736,000 675,000 568,000 600,000
星製薬 △2,557,877 △529,979 △432,825 △1,986
日本ペイント 224,294 338,534 196,343 155,497 148,539

 注) 各社の「営業報告書」および『社史』より作成。