昭和初期における各信用組合の動き

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日本資本主義が独自にうみおとした昭和二年の金融恐慌は、市街地信用組合にかぎらず、広く金融機関に深刻な打撃を与えた。さきの大崎信用組合についていえば、大正十五年(昭和元年)ころには、五反田地区の三大銀行の一である広部銀行が破産している(小原『わが道ひと筋』)。さらに金融恐慌と追いうちをかけられることとなるが、最もおそく大正十四年六月に設立された大井信用組合も含めた動きをみると、つぎの二表のとおりである。組合員数では大崎・荏原の順を示すが、工業を営む組合員数は大崎が荏原の二倍であって、いわば工業地帯大崎(五反田)と農村地帯荏原の姿を暗示しているといえようか。この金融恐慌の年、昭和二年の秋十月までに、池上線は大崎広小路~蒲田間、現在の田園都市線の前身たる大井町線も大岡山~大井町間が開通しており、省線電車に乗換えての通勤・通学も可能になった。


第106図 大井信用組合

第145表 昭和2年度における信用組合の構成比較
項目 組合員数 出資口数
信用組合名 農業 工業 商業 水産業 その他 農業 工業 商業 水産業 その他
品川 0 111 360 3 306 786 0 864 3,085 35 2,786 6,770
大井 22 88 265 4 206 585 550 519 2,201 68 2,085 5,424
大崎 6 183 636 0 338 1,163 16 696 3,346 0 384 1,242
荏原 156 91 615 0 298 1,160 813 594 2,561 0 1,157 5,125

 注) 各信用組合「事業報告書」より作成。

第146表 昭和2年度における信用組合の業況比較
項目 出資金 貯金総額 剰余金 貸出金 借入金 C/A D/B E/B+E
信用組合名 (A) (B) (C) (D) (E)
品川 338,500 911,122 36,812 782,042 0 10.8 85.3
大井 271,200 175,692 14,857 296,046 0 5.4 168.5
大崎 362,700 1,111,004 45,127 1,192,269 40,000 12.4 107.3 46.9
荏原 256,250 352,427 17,149 401,252 17,000 6.9 113.8 4.6

 注) 各組合「事業報告書」より作成。

 さて、このような状況を背景に、昭和二年度における品川・大井・大崎・荏原、各信用組合の業務状況と比較してみよう。

 出資額は大崎・品川・大井・荏原の順を示し、貯金総額・剰余金・貸出金では、大崎・品川・荏原・大井の順を示している。借入金も大崎の四万円を最高に、つづいて荏原の一万七〇〇〇円で、残る二信用組合は借入金はない。剰余金の対出資金比率でも、大崎・品川の順で、ともに一〇%をこえ、大井が最低である。貸出金の対貯金総額比率も大井・荏原・大崎・品川の順であって、大井信用組合は安定した内容をかならずしも示していない。

 もちろん、周知の金融恐慌の勃発に対しては、産業組合中央金庫は昭和二年四月十八日から三十日の間に、総額八〇〇万円の応急貸出をおこない、全国の信用組合の払戻準備金を用意した。さらに、東京府および産業組合東京支会の指導よろしきをえてその年のモラトリアム終了の折も事なきをえた。たとえば、モラトリアムによる休業中の四月二十三日には、品川信用組合において、臨時荏原郡部会を開き、各組合とも「急遽役員会ヲ招集シ、万一ヲ警戒シ人心安定ニ努力」したという(『城南信用金庫史』)。

 以下、かかる昭和二年度の比較検討を前提にして、順次昭和期の信用組合を概括してみよう。

品川信用組合は、組合員の構成としては、農業は消滅し、昭和初期を通じて員数はほとんど動かず、商業・工業もほとんど固定している。業況も、剰余金の対出資金比率は、昭和六年の昭和恐慌のどん底を除けば、常に一〇%を上回っており、貸出金も貯金総額を下回っている。

第147表 昭和初期における品川信用組合の構成
項目 組合員数 出資口数
年度 農業 工業 商業 水産業 その他 農業 工業 商業 水産業 その他
昭和2年度 0 111 360 3 306 786 0 864 3,085 35 2,786 6,770
3 0 124 381 3 270 778 0 896 3,137 35 2,801 6,869
4 0 164 382 8 330 884 0 1,350 3,469 129 3,111 8,059
5 0 152 420 8 300 880 0 1,267 3,620 129 3,261 8,277
6 0 141 402 8 296 847 0 1,051 3,267 129 3,255 7,702
7 0 123 385 7 299 804 0 803 3,377 74 2,673 6,927

 注) 各年度「事業報告書」より作成。

第148表 昭和初期における品川信用組合の業況
項目 出資金 貯金総額 剰余金 貸出金 借入金 C/A D/B E/B+E
信用組合名 (A) (B) (C) (D) (E)
昭和2年度 338,500 911,122 36,812 782,042 0 10.8 85.3
3 343,450 1,129,875 57,013 900,442 0 16.6 79.6
4 402,950 1,148,820 57,865 906,094 0 14.3 78.8
5 413,850 1,087,759 56,117 899,902 100,000 13.5 82.7 8.4
6 385,100 1,150,437 35,117 667,209 0 9.1 57.9
7 346,350 1,286,826 38,058 755,398 0 10.9 58.7

 注) 各年度「事業報告書」より作成。

 大崎信用組合の場合は、組合員数が四つの信用組合のうち最高であるとはいえ、昭和四年を最高として減少に転じていること、また昭和五年以降農業を営む組合員は消滅してゆくこと、したがって商工業ともに、昭和四年をビークに減少に転じているのである。業況に移れば出資金・剰余金は昭和三年、貯金総額と貸出金は昭和四年をピークに、それぞれ減少し始める。剰余金の対出資金比率も一〇%台を割り、貸出金も昭和四年以降は貯金総額を下回ってゆく。

第149表 昭和初期における大崎信用組合の構成
項目 組合員数 出資口数
年度 農業 工業 商業 その他 農業 工業 商業 その他
昭和2年度 6 183 636 338 1,163 16 696 3,346 384 1,242
3 3 198 657 384 1,242 6 804 3,481 1,911 6,202
4 3 202 661 398 1,264 6 808 3,485 1,892 6,191
5 0 198 650 409 1,257 0 792 3,285 1,845 5,922
6 0 194 613 406 1,213 0 788 3,226 1,831 5,845
7 0 184 587 395 1,166 0 732 2,999 1,644 5,375

 注) 各年度「事業報告書」より作成。

第150表 昭和初期における大崎信用組合の業況
項目 出資金 貯金総額 剰余金 貸出金 借入金 C/A D/B E/B+E
年度 (A) (B) (C) (D) (E)
昭和2年度 362,700 1,111,004 45,127 1,192,269 40,000 12.4 107.3 46.9
3 572,120 1,161,280 54,907 1,194,725 40,000 9.4 102.8 42.0
4 371,460 1,346,314 45,053 1,348,139 0 12.1 85.2
5 355,320 1,250,147 34,275 1,109,525 0 9.6 88.7
6 350,700 1,135,415 32,657 1,075,941 0 9.4 94.7
7 322,500 1,240,757 1,061,567 0 85.6

 注) 各年度「事業報告書」より作成。

 最初に荏原信用組合は、組合員数の微増を示すなかで、「その他」が倍増し、業況も出資金・貯金総額・貸出金ともに昭和七年に向かって増加を辿っている。借入金も多いのが特徴的で、剰余金の対出資金比率も、ほぼ一〇%前後の範囲を保ち、貸出金の対貯金総額比率も一一〇%台を保っている。

第151表 昭和初期における荏原信用組合の構成
項目 組合員数 出資口数
年度 農業 工業 商業 その他 農業 工業 商業 その他
昭和2年度 156 911 615 298 1,160 813 594 2,561 1,157 5,125
3 158 115 646 322 1,241 816 652 2,843 1,313 5,624
4 0 119 712 484 1,315 0 668 2,989 2,459 6,116
5 0 126 747 503 1,376 0 642 3,103 2,514 6,259
6 0 124 756 517 1,397 0 630 3,130 2,599 6,359
7 0 127 769 544 1,440 0 569 3,177 2,716 6,462

 注) 各年度「事業報告書」より作成。

第152表 昭和初期における荏原信用組合の業況
項目 出資金 貯金総額 剰余金 貸出金 借入金 C/A D/B E/B+E
年度 (A) (B) (C) (D) (E)
昭和2年度 256,250 352,427 17,149 401,252 17,000 6.9 113.8 4.6
3 281,200 460,890 26,508 549,503 33,225 9.4 119.2 6.7
4 305,800 646,684 32,626 669,416 58,596 10.6 103.5 8.3
5 312,950 677,183 36,882 768,701 101,899 11.7 113.5 13.0
6 317,950 671,717 31,681 748,362 84,724 9.9 111.4 11.2
7 323,100 719,548 30,705 800,402 68,202 9.5 111.2 23.7

 注) 各年度「事業報告書」より作成。

 以上、このような昭和恐慌期にもめげず、「目下回収不能ニ陥ル危険貸付」なしといわれたほど、経営の健全化と合理化に努めており、さらに東京府の勧奨した小口産業資金貸付についてもすぐれた取扱実績を示しつつ昭和七年以降、一大振興運動をおこし、拡充五ヵ年計画を推進して、発展をはかってゆくのである。