商店の経営主

555 ~ 556

K氏は大正十二年当時、横浜の住吉町に住む三十代の若き貿易商であった。かれはバタビアに支店を持つほどになり海外雄飛に胸をときめかせていた。

 そこに訪れたのが大地震で、横浜の事務所・住宅すべて壊滅に帰し、かれの夢をいっきに吹き飛ばしてしまった。そこで、幸いに焼け残った東京市内尾久の伯父の納豆屋さんの家に落ちつき、一時その仕事を手伝っていた。そして、横浜に復帰できる日まで、納豆屋で生活の資をうべく店の候補地を探しもとめた。

 たまたまかれは星製薬工場の近くにあったハンカチ工場にかつて出資をしていた関係で、小山の辺りを以前から知っており、まず小山に店をもつことにする。そして、U氏の地所を借りて工場を作り、また近くの借家に住まって納豆業を始めるが、仕事は順調に発展し、小山の食品店をはじめ荏原・品川・馬込等々各地の食品店に納豆を卸すようになり、ついにはじめは腰かけのつもりであった小山の土地が半生を過ごす住地となったのである。かれはそれ以来小山の発展のための仕事に積極的に活動し、八十歳を越す今日も町会のために尽力している。