合併にたいする挙郡一致の運動

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東京市の動きに対応して五郡町村も活発な動きを開始した。たまたま開かれた昭和六年四月の市政評論雑誌『大衆自治』主催の近接三六ヵ町村会議長を中心とする合併問題座談会がそのきっかけとなった。この時出席の市側関係者と町村会議長の間に率直な意見交換が行なわれ、合併の実現が緊急を要する点で全く意見の一致をみた。とくに町村側出席者に大きな反響を呼び、この座談会を中心に都市計画区域全町村を網羅した「隣接町村合併促進会」が結成され、昭和六年六月日比谷市政講堂で発会式が行なわれた。

 発会式で採択された決議は、「我等は、大東京実現の急務たるを痛感し、東京市と隣接町村との即時併合断行を熱望す」と述べた。またその宣言では、「郊外居住民を合する五百万の都民大衆は、その社会生活に於て全く同一なるに拘らず、制度的に分立して各個各別なる小施設に籠城し、統制ある文明都市としての大施設を見る能はざるは、我等都民として損失これより大なるはない」とし、「小異小利害を一擲し」て併合を熱求することを表明した。

 役員にはかつて東京市助役をつとめ、浜口内閣のもとで警視総監をつとめた丸山鶴吉を会長に、各町村からそれぞれ実行委員をおくった。このなかには品川町の浅井幸三郎・浅海甫蔵、大崎町の太田鉄吾、大井町の徳田友吉が含まれている。

 その後、東京市会の都制に関する委員会の各郡視察は合併気運をさらにもりあげた。委員会の荏原郡視察は六月十八日に行なわれ、荏原郡各町村巡回ののち、品川町役場会議室で郡内一九ヵ町村長の参加をえて会見が行なわれた。会見では市郡の行政主体が異なることが、住民生活にいかに不便を与え、また町村財政の窮迫がその社会的要求を充足せしめえない実情が率直にだされ、合併の必要と必然性が強調された。その上で東京市の負債、合併後の町村側施設の充実、負担減などの問題が出され、それぞれ意見を交換した。この会見は町村側の合併にたいする熱意を市側に充分感得せしめた。

 五郡視察を了えて、東京市会が合併促進を決議し、市役所に「臨時拡張部」が設置されたことは先に述べた。これを受けて各五郡もそれぞれ各郡町村長会を中心に、町村会議員と協力して併合問題にたいする態度を決定することになった。

 荏原郡では同年七月駒沢町役場に町村長会議を開き、つぎの申合事項を決定した。

   申合事項

 一、会長副会長は東京府知事に対して、併合に関して本会は夫々研究を進め居る旨を報告すること。

 二、会長副会長は併合に関する東京市長の意図を確めること。

 三、東京市隣接五郡の町村長会議の開催を要求すること。

 四、各町村に於て適当なる方法を以て、それぞれ町村会の意見を纒めること。

 五、各町村会は全員を委員としてこれが調査研究に当らしむること。

 さらに八月七日大井町役場に町村長会を開き、左の事項を申合わせた。

   申合事項

 一、荏原全郡を同時に合併するのでなければ賛成出来ないこと。

 二、郡内各町村を網羅した特別機関を設定すること。

 三、特別機関の組織に就ては会長に一任すること。

(『荏原区史』)

 

 荏原郡町村会が全郡同時合併を申合せたのは、東京市が一部町村を分割して併合すれば従来郡町村の組合事業(病院その他)の運営など多くの困難が生ずることを恐れたからである。しかも分割編入となれば当然五郡中もっとも発達し、かつ財力ある近接町のみを市域に編入することになり、かえって編入されない町村の社会的地位が悪化することが予想されたからである。事実、後に述べるように東京市側には部分併合を強力に主張するものも相当数存在したのであった。

 町村長会の申合わせをうけて、各町議会は相ついで合併推進を決議するとともに、町議会内に市郡合併に関する調査委員会を設置し、町内の意見統一と合併によって生ずる諸問題の調査を始めた。調査事項は今明らかになっている大井町の場合を掲げると左の如きものである。

 一、庶務ニ関スル事項及其他分担ニ属セサル事項(町職員・選挙・労働問題・都市計画等三二項目)

 二、教育ニ関スル事項(普通教育・実業教育・社会教育・図書館等一八項目)

 三、土木ニ関スル事項(道路・橋梁・河川・港湾・上・下水道等二六項目)

 四、衛生ニ関スル事項(病院・衛生・塵芥・糞尿処理・公園等二一項目)

 四、社会文化警備産業ニ関スル事項(社会事業諸関係・中央卸売市場・防災等三四項目)

 五、財産及財政ニ関スル事項(二七項目)

 詳細をきわめた調査項目である。町当局がこの問題がいかに細心の注意をはらったかが窺われる。

 各町村の準備がすすむのと併行して、十月には荏原郡町村長会は各町村から町村長のほかに委員二名を選出して郡連合会を結成することを申合わせた。この申合せにより十月には荏原郡市町村合併連合協議会を創立、委員長には大井町長(当時荏原郡町村長会長)名和長憲を委員長に選出した。品川町からは町長、府会議員大橋清太郎・町議浅井幸三郎・同浅海甫蔵が、大崎町は町長松原伝吉・町議太田欽吾・同高橋順之助、荏原町は町長・府会副議長伊藤武七郎・町議鏑木小平治・同市川三郎、大井町は委員長名和長憲に町議柴田正光・同徳田友吉がそれぞれ委員になった。こうして挙郡一致の体制が整えられた。その上で連合協議会は十一月十八日までに各町村の併合意見書をとりまとめて東京府・市に提出することを決定した。