大正十五年、陸軍省と文部省との協力のもとに、勤労青少年に軍事教練や修身・公民・普通学科を教育するために青年訓練所が各町村に設けられ、当地区にも品川町青年訓練所(東海小学校内)大井(大井小学校内)鮫浜(鮫浜小学校内)大崎第一(第一日野小学校内)大崎第二(第二日野小学校内)、京陽(京陽小学校内)杜松(杜松小学校内)、延山(延山小学校内)小山(小山小学校内)と九つの訓練所が設けられた。入所生徒の年齢は十六歳で、在所期間は四ヵ年であり、四年間に修身・公民二〇〇時間、普通学科二〇〇時間、職業科一〇〇時間、教練四〇〇時間を課すことになっていたが、じっさいには軍事教練にもっとも力が入れられ、また国家主義思想の注入に努力がはらわれた。つまり昭和以降の軍国教育化への歩みをよく表わした教育機関であった。授業は週二日、午後七時から行なわれるのが普通で、また、それ以前から設けられていた実業補習学校と併置されている場合が多かった。各町の当局はこの訓練所と実業補習学校との二重運営に悩まされていたが、昭和十年には両者は合併して、青年学校が生まれたのである。