十月一日、初代品川区長には、前東京市商工課長の工藤隆治が、初代荏原区長には、中央卸売市場総務係長増田穆がそれぞれ就任した。各区の吏員定員は、品川区が一一一名、荏原区が七六名で、その後次第に増員された。
職制は東京市によって一律に定められていた。それは区制実施時にはつぎのようになっていた。
庶務課(庶務係・教育係・選挙係)
戸籍課(本籍係・寄留係・兵事係)
衛生道路課(衛生係・道路係)
税務課(国税係・家屋税係・営業税雑種税係・滞納整理係)
会計課(収納係・支払係・用度係)
の五課一五係であった。その後戸籍課が戸籍兵事課に、衛生道路課が保健土木課(保健係・土木係)にそれぞれ名称が変わったほか、新たに庶務課に社会係がおかれたが、昭和八年にはさらに社会課に独立昇格して、社会事業関係の事項を掌った。
したがって昭和八年以降十三年までは、この六課一八係が区の事務職制であった。その後日中戦争から太平洋戦争へと戦争体制が強化されるにつれて、職制はしばしば変更されたが、これは別項でのべることにする。