同じ市制六条に基づく区でも京都・大阪の区と決定的に異なる点は、東京市の区が議決機関である区会をもっていたことであったことは先にものべた。
区会の議決すべきおもな事項は、歳入歳出予算、区の財産および営造物の取得・管理および処分、区に属する市税の課率、区所属吏員の賠償責任および身元保証などであった。
また区会のもう一つの重要な権能として区政監察があった。書類および計算書の検査、事務の管理・議決の執行・出納の検査・決算報告の審査などである。
さらに区会は区の公益に関する事柄について意見書を関係行政機関に提出することができ、上級行政機関の諮問にたいして答申する義務があった。
区は学区を兼ねていた。それゆえ区会は学区に関する事項の議決機関であり、学務委員の選挙は区会の重要な権限であった。
以上のような権限と機能を有する区会は、品川・荏原をはじめ新設二〇区では、昭和七年十一月二十三日はじめての区会議員選挙が行なわれた。区会議員の定員は品川区・荏原区ともに四〇名であった。
第一回区会議員選挙は天候にも恵まれ、棄権率は二〇区全体を通じて二四・一%という好成績を収めた。品川区の場合、定員四〇名にたいして立候補者は七二名という激戦であったが、棄権率は二五・八%と平均をわずかに上まわった。詳細は別項にゆずるが、品川区では政友会系が絶対多数を占めたのにたいして、荏原区では民政党系が優勢であった。
初区会は同年十二月に開かれ、ここで正副議長の選出を行なうとともに、品川・荏原ともそれぞれ区会会議規則および区会傍聴人規則を決定した。このとき選出された区会議長・副議長は、それぞれつぎの通りである。
品川区 議長 浅井幸三郎
副議長 西本啓
荏原区 議長 平沢忠七
副議長 岩淵喜宗治
区会の権限の一つであった学務委員の選出については、十二月の区会で行なわれた。品川区の場合、定員を一〇名とし、区会議員六名、市公民中選挙権を有するもの三名、市内小学校教員一名の割合で選出された。市公民中よりの委員には合併前の町長をつとめた品川の大橋清太郎、大崎の西村菊次郎、大井の名和長憲などいわゆる大物が顔を揃えていた。
荏原区でも前町長・府会議員の伊藤武七郎が第一期学務委員に名をつらねている。